幕末とコロナ:激動の時代の人づくり【鈴木寛の「2020年への篤行録」第82回】

 さる7月4日、慶應大学総合政策学部 鈴木寛研究室と山口県萩市が地域おこしと人材育成を連携して行う連携協力協定を結びました。

 今回のコラボレーションにより、地域おこしの連携や、実践する人材の育成について、萩市の皆さんと一緒に行うことになりました。その第一弾として、萩市内の高校の魅力アッププロジェクトを開始します。具体的には、すずかんゼミが萩の高校生の探究学習を支援させていただきます。

 調印式は世界遺産にもなっている松下村塾にて、私と萩市の藤道健二市長が出席して執り行われました。調印式には市内に3つある高校の校長先生もご出席いただき、早速今後について意見交換もさせていただきました。

 私の人づくりの人生は通産省から山口県庁に出向していた1993年から1995年までの2年間、20回、この松下村塾に通ったことから始まりました。すずかんゼミの、そして私が教育をライフワークに定めた原点がここにあります。この日を迎えられて、感謝、感激でした。

 初めて松下村塾を訪れた日の記憶はいまでも鮮明です。まず驚いたのはその規模。わずか八畳と十畳の二間しかないのです。そんな狭い平屋建ての茅葺小舎に、延べで92名の塾生が学んでいたのです。もうひとつ驚きなのは、吉田松陰が松下村塾で教えていたのは、実家で身近な人たちに教えていた期間を含めても、実質2年ほどしかなかったことです。
 こぢんまりとした小屋で、わずかの期間にどのような教育をしたから、高杉晋作や伊藤博文のような偉人たちを輩出できたのか、私の人づくりへの探究心がむくむくと芽生えていきました。松蔭に関する書籍、それこそ山口でしか手に入らない貴重な文献を含めて読み漁るうちに印象的だったのは、現代の学校教育と比較しても実に先進的な取り組みをしていたことです。

 一つだけ挙げると、まさに今で言うアクティブラーニングの考え方だったといえます。大河ドラマで、高杉たちが「豊臣秀吉とナポレオンが戦ったらどちらが強いか」で論争するシーンが描かれていましたが、実際の松下村塾も議論を重視していました。当時の寺子屋や藩校は先生が書物の知識を一方的に教えることが普通でしたので実に画期的でした。

 幕末・維新から150年余。既成概念がひっくり返る中で、時代を切り開く人材の育成が求められている点で、コロナ禍の現在とも共通します。まずは松下村塾の御恩に報いるため、萩の高校生に恩送りしたいと思います。萩から日本中、世界中の同士と共に教育維新を胎動させていきます。

(東大・慶応大教授)

東京大学・慶應義塾大学教授
鈴木寛

1964年生まれ。東京大学法学部卒業後、1986年通商産業省に入省。

山口県庁出向中に吉田松陰の松下村塾を何度も通い、人材育成の重要性に目覚め、「すずかん」の名で親しまれた通産省在任中から大学生などを集めた私塾「すずかんゼミ」を主宰した。省内きってのIT政策通であったが、「IT充実」予算案が旧来型の公共事業予算にすり替えられるなど、官僚の限界を痛感。霞が関から大学教員に転身。慶應義塾大助教授時代は、徹夜で学生たちの相談に乗るなど熱血ぶりを発揮。現在の日本を支えるIT業界の実業家や社会起業家などを多数輩出する。

2012年4月、自身の原点である「人づくり」「社会づくり」にいっそう邁進するべく、一般社団法人社会創発塾を設立。社会起業家の育成に力を入れながら、2014年2月より、東京大学公共政策大学院教授、慶應義塾大学政策メディア研究科兼総合政策学部教授に同時就任、日本初の私立・国立大学のクロスアポイントメント。若い世代とともに、世代横断的な視野でより良い社会づくりを目指している。10月より文部科学省参与、2015年2月文部科学大臣補佐官を務める。また、大阪大学招聘教授(医学部・工学部)、中央大学客員教授、電通大学客員教授、福井大学客員教授、和歌山大学客員教授、日本サッカー協会理事、NPO法人日本教育再興連盟代表理事、独立行政法人日本スポーツ振興センター顧問、JASRAC理事などを務める。

日本でいち早く、アクティブ・ラーニングの導入を推進。