赤ペン瀧川「僕は基本的にはコンプライアンスの順守だったり表現の規制については行けるところまで行けと考えているんです」〈インタビュー前編〉

『孤狼の血』での白石和彌監督のアイデアを紹介した赤ペン瀧川(撮影・蔦野裕)

「ルールがあるからこそ生まれたアイデア」

 そのシーンは昔だったら…。
「血もガンガンいくでしょう。でもそんな中で工夫をされている方もたくさんいます。白石和彌監督の作品で『孤狼の血』という映画があるんですが、音尾琢真さんをベッドに縛り付けて、役所広司さんが音尾さんの性器に埋め込まれた真珠を1個1個抜いていくというシーンがあるんです。そのシーンを引きで撮ると性器が見えてしまう。性器はもちろん、レイティングに引っかかってしまう。そこで監督はどうしたかというと、めちゃくちゃアップで撮ったんです。皮膚と真珠に寄って“これは性器ではなく皮膚です”ということでレイティングをすり抜けるんです。これってアイデアじゃないですか? メスを持っているカットがあって、寝ているカットがあって、“やめろやめろ!”という表情があって、あとは皮膚に寄る。もちろん性器は作りものなんですが、作り物でも性器はレイティングに引っかかる。R15やPG12では抜けられない。下手したらR18になっちゃうところを、白石監督はこの手法で乗り切った。なるほど、そんな逃げ道があるのか、と思いました。この数秒のカットの中にめちゃくちゃ素晴らしいアイデアが隠されていた。これなんかもルールがあるからこそ生まれたアイデアだと思うんです。

 レイティングなんて関係なく一般の映画館で公開できるというシステムだったら、リアルに撮りたかっただろうけど、もちろんそれはできない。でも劇場公開しなければいけない。R15とR18では上映館数が圧倒的に変わるので、最悪でもR15にしておきたい。こういう1例でも分かるように、ルールとかコンプライアンスで何が生まれるかというと、窮屈さではなく新しいアイデアが生まれる。だから厳しくすればいいと思うし、それをすり抜けるアイデアを生み出せばいいと思う。それで死ぬんだったら死ぬ業界だし、生き残る奴だけが残れば面白いものはできると思うので、僕は規制というものは全然ありだなと思うんです。

 テレビに関していうと“昭和の時代を撮りたいな”と思っても今はタバコをバカバカ吸っているシーンは放送できないじゃないですか。ぽい捨てするのも。なので、そういうルールがあるにも関わらず、そのシーンがある作品を撮る必要があるのかというところから考え直していただいて、戦い方としてはそれだけ厳しい状況で、なおかつ面白い題材で面白い作品を作るしかない。だから映画ではそれはやっちゃっていいんじゃない?と思うし、映画とテレビの住み分けもできてくるし。なおかつ演劇は演劇でしかできないことが編み出されるし、というように、より住み分けがはっきりしていいんじゃないかなって思います」