玖村修平「第二の自分として進化していく姿を見せていきたい」

2020.09.03 Vol.web original

格闘家イケメンファイル Vol.110

 シューティングスターというキャッチコピーの字面のキラキラ感のみならず、夜空に瞬く星々のある種の儚さをも体現するかのように、美しすぎる容姿を惜しげもなく差し出して激しくアツい戦いを繰り広げるファイター・玖村修平。その姿勢に誰もが魅了されるエンターテイナーは、長期の負傷欠場を経て、第二章のスタートを切る。幼少期からともに格闘技の道を歩んできた弟・将史のKrush スーパー・バンタム級タイトルマッチと同日の9月26日、後楽園ホールで開催される『Krush.117』において、第5代フェザー級王座決定トーナメントへ参戦が決定した。

山本直樹「自己満足だとしても、チャンピオンになれるなら自分はどうなってもいい」

2020.04.24 Vol.729

格闘家イケメンファイル Vol.109

 2015年に「Krush.53」でデビューして以来、K-1でもひときわスター選手が揃うスーパー・フェザー級で奮闘する山本直樹。2017年には5連勝と好調で王座へと着実に駒を進めるもその後は島野浩太郎や郷州征宜、朝久泰央らトップクラスの選手たちにはいずれも敗戦。2019年末には「Krush.109」のKrushスーパー・フェザー級タイトルマッチで王者レオナ・ペタスへの挑戦権を得るも2ラウンドでKO負けを喫した。20代最後の試合は、新型コロナウィルス感染拡大の影響により、過去に例のない無観客興行となった「Krush.112」。山本同様に再起戦となる佐野天馬を延長判定で下し、再びトップ戦線を見据える。

松本日向「自分が持っている力や技、全てを使ってアピールしていきたい」

2020.03.24 Vol.728

格闘家イケメンファイル Vol.108

 2019年にAbema TVで放送された格闘リアリティー番組「格闘代理戦争 4 th season」で注目を集め、同年秋のプロデビュー後は2戦2勝の松本日向。その名のとおりあたたかい太陽が照らしこむような笑顔を試合中にものぞかせながら、タフな展開を全力疾走でものにする姿がファンを魅了し人気急上昇中だ。2020年3月28日(土)に東京・後楽園ホールで開催される「Krush.112」では、松本がK-1カレッジ王者となった2018年にK-1甲子園王者に輝いた多久田和馬と、プロデビュー後、無敗同士の対決となる。

瓦田脩二「リーダーの自分が、一番かっこよくなければいけない」

2020.03.05 Vol.727

格闘家イケメンファイル Vol.106

 2連敗という苦境を乗り越え、注目の新星・稲垣柊を1RKOで下し、キャリア10戦目を白星で飾り新たな年を迎えた瓦田脩二が、イベント名称を戻し大会ロゴも創成期のものを復活させた超破壊型打撃格闘技「Krush」での活躍を誓うとともに、K-1ジム総本部チームペガサスのリーダーとしての意気込みを語った。

岡嶋形徒 “スーパースター”は既にいる。今いないような存在になりたい。

2019.11.18 Vol.724
 2019年春から配信されたAbemaTVの人気ドキュメンタリー番組「格闘代理戦争4thシーズン」で武尊率いる「Team武尊」の大将として団体戦を優勝に導き、その後9月に開催されたK-1 KHAOS NIGHT.9でK-1選抜の秀樹に判定勝利をおさめプロデビューを白星で飾った岡嶋形徒。プロ2戦目は来たる11月24日(日)開催の「K-1 WORLD GP 2019 JAPAN ~よこはまつり~」(会場:横浜アリーナ)。山浦力也と対戦する。

“キュラソのー怪鳥”ジョーダン・ピケオー【格闘家イケメンファイル Vol.101】

2019.07.13 Vol.720
 2015年のKrush後楽園大会で佐藤嘉洋に衝撃KO勝利という鮮烈な日本デビュー戦を飾ると、カリブ海の魅惑の島で育まれた太陽のような “ピケオー・スマイル”と、リング上でのアグレッシブなファイトスタイルで一気に日本の観客のハートをわしづかみにした“キュラソーの怪鳥”ジョーダン・ピケオー。翌16年に第4代Krushスーパー・ウェルター級王座に輝いて以来、ついに今年6月には神保克哉に実力差を見せつける形でK-1 KRUSH FIGHT史上最多となる5度目の防衛を果たした。同時にVS日本人選手の無敗記録も更新。そんなKRUSH絶対王者が次なる標的として狙うのは同じく笑顔がチャームポイントの“微笑みスナイパー”久保優太が保持するK-1 WORLD GPウェルター級タイトルだ。

不可思「格闘技でワクワクできることを探していきたい」

2019.06.29 Vol.719
 帰命無量寿如来 南無不可思議光・・・救いを得て、生きる喜びにたどり着いた親鸞はその感謝を信心として正信偈に記した。不可思議光とは、阿弥陀仏の人知の及ばない智慧を意味する別名だ。そんな、言葉では表現しえない宇宙的な力を意味するリングネームを持つファイター、不可思。浄土真宗大谷派の寺に生まれ、僧侶の父がその名を与えた。

所スタイルの継承者・長野将大【格闘家イケメンファイル Vol.99】

2019.05.06 Vol.717
“闘うフリーター”のキャッチフレーズで人気の格闘家・所英男の弟子として、メキメキ頭角を現している長野将大。2017年に上京し、練習に明け暮れている。 「出身は岡山です。兄が中学校ぐらいから柔道をやっていて、その流れで所さんの先輩がやっているという格闘技のジムに行っていたんです。それで僕が19歳の時に、兄に誘われてそのジムに行ったのが、格闘技をはじめたきっかけです。多分、暇そうにしていたから誘ってくれたんだと思います(笑)。最初は打撃を主にやっていたんですけど、寝技をやりだしたら、寝技が楽し過ぎてすっかりハマってしまいました(笑)。ハマり過ぎて、東京でプロとしてやってみたいと思うようになり、所さんのジムを紹介してもらって、上京してきました。僕が格闘家になるきっかけを作ってくれた兄は、プロには興味がなく岡山で趣味として格闘技を続けています」

隼也ウィラサクレック「とにかく倒して勝ってチャンピオンになりたい」

2019.04.01 Vol.716
 リングの上では殺気さえ感じる隼也ウィラサクレック。しかし普段は気さくで、場を和ませるタイプ。「よく言われるんです。リングに上がったら別人だって。あと、怖い人だと思ってましたとも。宣材写真が怖そうに写っているからかな」と笑う。 「リングネームからハーフ? って聞かれる事もたまにあるんですけど違います。東京の東大和市の出身です(笑)。自分はムエタイジムに所属していて、会長もトレーナーもタイ人なんです。タイの選手って、自分の名前のあとにジムの名前を付ける事が多く、自分もプロになる時に、ウィラサクレックの名前を付けるかと会長に聞かれ、お願いしますと言いました」  ジムに入ったのは小学生の時。 「もともとダンスをやっていたんですけど、なんか違うな…と思った時に、たまたま体験に行ったのがきっかけです。格闘技をやる気はなかったんですけど、その1回の体験でハマってしまった。その時のトレーナーがすごくほめ上手で、“才能があるね”みたいな感じで乗せられて、すぐに入門しますって(笑)。それが11歳の時だったんですけど、それから週6日通っていました」

駒杵嵩大「子どもたちが憧れる選手になりたい」

2018.10.24 Vol.web Original
 総合格闘技を始めて1年ぐらいというが、首の太さ、肩、腕、背中の筋肉がただ者ではない風格の駒杵嵩大。それもそのはず、オリンピックを目指していた柔道エリートなのだ。なぜ、総合格闘家になったのか。 「小学校のころから社会人まで、20年ぐらい柔道をやっていて、オリンピックを本気で目指していました。最初は親に言われて始めたんですが、胴着とかがダサかったので、すごく嫌だった(笑)。だって、野球とかサッカーのほうがカッコいいじゃないですか。でも初めて出た試合で優勝して、その後もどんどん優勝を重ねていったんです。小学校の時は市大会、県大会優勝レベルで、中学に上がる時に違う道場に行くようになったら、そこの監督と相性が良かったのか、一気に強くなりました。県大会、関東大会でも敵なしというぐらい。その頃から高校在学中まではオリンピックに出られると信じていたんですが、高校の時に、オリンピックにも出場して、この前の世界選手権でも優勝した高藤に秒殺で負けて(笑)。年下に負けたのも初めてだったし、世の中にはこんな強い奴がいるんだと思いましたね。その後は同じ大学に通い一緒に練習したり、団体戦でともにレギュラーで戦ったり、今は戦友みたいな関係です」

篠原悠人「3.10のトーナメントはラストチャンスという気持ちで挑みます」

2018.02.15 Vol.703
 会見ではスーツを着用、話し方も落ち着いて堂々としたものだが、実はまだ19歳の現役大学生。 「実年齢よりは老けて見られることが多いです」と苦笑いの篠原。「普段はカジュアルな格好もしますが、会見とかはスーツのほうがカッコいいと思って」という。  今どきのイケメン、しかも遊びたい盛りの大学生だが…。 「5歳で空手、7歳からキックボクシングを始めてから、ずっと格闘技中心の生活です。キックボクシングを始めたのは、空手はちょっと違うなと思ったから。小さいころテレビでK-1を見て、キックボクシングのほうがかっこいいなと思って。その時からK-1の選手になろうと決めていました。そのために、中学受験をしたほどです。絶対にK-1甲子園で優勝するって思っていたので、高校受験のために中学時代に練習を休むというのが考えられませんでした。だから中学受験したのに、合格したらK-1甲子園がなくなってしまって…。その時はどうしようと思いましたが、高校1年生の時に復活したので、これはもう絶対にK-1甲子園で優勝すると決めました」

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