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皇治「自分が言ったことを実現するのが男前。だから俺はかっこいい」【格闘家イケメンファイル Vol.84】

2018.01.29 Vol.702

 2017年6月のK-1の会見では、王者・大雅に挑発的な言動で乱闘騒ぎを起こした皇治。

「いや、あれは俺がひどいこと言ったみたいになってますけど、勘違いなんです。俺は“坊ちゃん”って呼んだだけなのに、向こうが“殺す”とか言ってきた(笑)。でもファンが楽しんで盛り上がってくれたからいいかな。みんな会見の仕方が分かってないんですよ。頑張りますとか、減量がうまくできたとかどうでもいいわ(笑)」とテンポのいい喋りで笑わせる。

 見た目、やんちゃ系だが実際は…。

「ちょっとだけ(笑)。舐められるのが嫌だったんです。こいつらにどうやったら俺が一番強いことを分からせる事ができるか考えたら、格闘技で世界一になることだって思った。小学生の時の日記には、K-1ファイターになる、世界チャンピオンになるって書いてたんですけど、その夢は叶えた。自分が言ったことを実現するのが男前だって思っているので、やっぱ俺ってかっこいいなって(笑)」

 本格的に格闘技をやる前は意外な経歴を持つ。

「父親が格闘技好きで、小さいころから空手や日本拳法をやっていて、15歳からキックボクシングを始めました。でも戦うのはあまり好きじゃなかった。むしろサッカーのほうが得意で、小学校、中学校とセレッソのユースに所属していました。中学でサッカーをやめたのは、チームプレーは合わないなと思ったから。中学3年の全国大会で俺は3点入れたのに、4点入れられて負けて、それは全部チームメートのせいだと思った。その時に、人のせいにするのはあかん、一人の世界で勝負しようと思って格闘技にいったんです」

 喧嘩は負けなし、空手でも日本一になるなど、自信満々でキックボクシングのジムを訪れた。

「完全にお山の大将で、俺を倒せるやつなんていないだろうって本気で思っていたんです。そのノリでキックボクシングジムに行ったら、高3のプロのやつにボッコボコにされて(笑)。もうすっごく悔しくて、その日は全然眠れなかった。で、次の日もう一度お願いしますっていったら、根性あるやんみたいになって、そこからがスタートでした」

村越優汰「初参戦のK-1の舞台は、必殺技の三日月蹴りでインパクトを残したい」【格闘家イケメンファイル Vol.83】

2017.12.19 Vol.701

 23歳という若さながら、落ち着いた物腰にベテランの風格を感じさせる村越優汰。それもそのはず、すでにデビュー7年目で、戦績は27戦というキャリアを持つ。

「親が格闘技好きで。気がついたら空手をやっていました。幼稚園、小学校と空手を続け、中学1年でキックボクシングを始めると16歳でプロとしてデビューしました」と村越。

「3兄弟の一番下で、一番上は空手から柔道に。2番目の兄が先にキックボクシングを始め、その後を追った感じです。空手はなかなかテレビ放送しないけど、キックボクシングはよくされていて、すごく華やかに見えた。自分は結構目立ちたがり屋なので、それにあこがれていたというのもあります」

直斗「清水兄弟の3男坊」【格闘家イケメンファイル Vol.82】

2017.11.18 Vol.700

 切れ長のクールな目が印象的な直斗は、落ち着いた話しぶりに反し、まだ21歳という若さ。格闘技を始めたのも、ほんの3年前だという。

「格闘技を始める前までは、まったく興味はありませんでした。3年前に兄にマレーシアのクアラルンプールに連れて行ってもらって、現地で練習していたらハマっていった。その流れで、日本に帰ってきてからも、現在のジムで練習を続けています」

 11歳と9歳上の兄もかつてZSTで活躍していたプロの総合格闘家だ。

「長男が清水俊一、次男がリングネーム“ライダーHIRO”こと、清水俊裕です。長男とは11歳離れているので、小学校の時に兄の試合も見に行ったことがあるんですけど、まったく興味がなかったので、全然覚えていない(笑)。うちは父が柔道をやっていて、母以外、僕の上の姉も含めてみんな柔道をやっていたんですが、自分としてはかじった程度のつもりでした。しかし、18歳の時にマレーシアで久しぶりにやってみた時に、柔道をやっていたせいか、すごく筋がいいって褒められて…。“結構できるね”って言われると18歳ですし、うれしいじゃないですか(笑)。なんか、ホイホイされて調子に乗っちゃって、そのままの勢いで日本でも続けたっていう感じです」

高橋拓也「取手の太陽仮面」【格闘家イケメンファイル Vol.81】

2017.11.02 Vol.699

 ニコニコとしたアイドルスマイルで現れた高橋拓也。左耳に光るピアスといい、いい意味で総合格闘家のイメージとはかけ離れている。

「よく言われます(笑)。17歳で格闘技を始めるまでは、ずっとサッカーをやっていて、サッカーのほうが似合うんじゃない?って。」

 そんな高橋だが、格闘技をやる意志は固かった。

「小さい時から格闘技が好きで、ずっと見ていました。K-1もほとんど見ていたし、PRIDEとかも…。青木真也さんとか山本KIDさんがすごく好きでしたね。だから、絶対にやろうって決めていたんですけど、家の近くにジムがなかった。実家は茨城で今も茨城に住んでいるんですけど、ちょっと田舎だったので、入りたいジムまで遠く、原付の免許を取ったら、絶対に始めるって決めていた。ですから、17歳になって免許を取ると、サッカーをやめてすぐに今のジムに入門しました。」

亀本勇翔「ブレイブ・ジャスティス」【格闘家イケメンファイル Vol.80】

2017.09.20 Vol.698

 格闘技1本で勝負するため広島から上京してきた亀本勇翔。きっかけは、地元広島で見たあの選手。

「高校を卒業した年に上京してきました。進路を決める時に、格闘技1本でやっていこうと思ったんです。格闘技は、物心ついたころから…5歳ぐらいだったと思いますが、近所の空手道場に通うようになり、中学生になった時にキックボクシングを始めました。そのきっかけは、中学の時に見たK-1の試合。たまたま広島で開催されていて、見に行ったんですけど、それまで存在は知っていたけど、そこまで詳しくはなかった。でも会場で生で観戦した時に、めちゃくちゃ衝撃を受けて“これだ!”って。こんな世界があるなら、そこに飛び込みたいってひらめいた感じです。中でも印象に残っているのは、魔裟斗選手。ほかの選手も輝いていたんですけど、オーラがひときわ際立っていた。客席から見ていても、こういう人をスターって言うんだなって。純粋にああいう人になりたいというあこがれを持ちました。ただ、僕が上京を考えていたころは、K-1がなくなっていて、どこを目標にしたらいいか分からなくなったりもしました。それでも絶対にやり続けていたら道は開くと信じて上京しようと決意しました。Krushも盛り上がっていましたし、そこで思い切りやればいいと。最近はK-1も復活し、すごく人気が出てきているので、いい流れがきてるなと思っています。」

関鉄矢「ベルト奪取のために、絶対に負けられない」【格闘家イケメンファイル Vol.79】

2017.09.05 Vol.697

 シュッとした印象のさわやか系イケメンの関鉄矢。生まれも育ちのハマッ子の彼が総合格闘技を始めたきっかけは、本紙連載にも登場したことがあるあの選手。

「小さい頃は野球少年だったんですけど、高校2年の時に野球をやめちゃって。で、何か他に体を動かすことをやりたいなと思って、ボクシングジムに通い始めたんです。全然本格的なやつじゃなくて、習い事レベル。野球をやめた時点で、団体競技はもういいかなって飽きちゃった(笑)。性格的に、個人競技のほうが向いていると思ったのと、たまたま家の近くにボクシングジムがあったので、体がなまらない程度にやっていた感じですね。団体行動が苦手なんですよ。周りに気を使えないというか、気を使うのが面倒くさい。だったら自分の好きなようにしたいなって。そのほうが楽じゃないですか。そんな時、たまたま今のジムにいる幼なじみの渡邉龍太郎(俳優・総合格闘家)と小学校ぶりぐらいに再会して。その時に、格闘技をしているという話を聞き、今度ジムに遊びに行くよっていう感じの軽いノリで、今のジムに移ったんです。ジムに入ったものの、もともと格闘技に興味があったわけでもないので、最初は試合に出たいとか考えてはいなかった。でも“出てみる?”って言われたから、“じゃ、やってみたいです”ぐらいな感じで(笑)。そうしたらこれが面白くて、今でも続いています」

東本央貴「リベンジしたい選手がいる」【格闘家イケメンファイル Vol.78】

2017.08.16 Vol.696

 個性的な髪形で登場した東本。「それ、よく言われるんですよね。普通の髪形にはしたくないなって。人と一緒なのが嫌なのか、ただの目立ちたがり屋なのかは分かりませんけど」と笑う。

1年4カ月前に関西から上京してきたとか。

「地元のほうでプロとしてやっていたんですけど、去年の4月に移籍してきました。ここを選んだのは、一番強いジムだから。強い選手が多いので、その環境の中でやったら、自分も強くなるんじゃないかなと。練習環境は全然違いますね。みんながライバルっていう感じ。前のジムは、プロ選手があまりいなかったので、なかなかライバルと切磋琢磨して…っていう環境じゃなかった。でもここでは、一瞬でも気を抜いたら差を開けられるという緊張感がある。だから練習の前に夜ふかしとか絶対にできないし、遊んでいる場合じゃないなっていう気持ちになるんです」

移籍のきっかけのひとつが、同ジム所属で、第4代Krush -63kg王者の佐々木大蔵だとか。

「去年の1月にやった“第4代Krush -63kg王座決定トーナメント一回戦”で、大蔵君に負けたんです。ベルトがかかったトーナメントだったのに、負けてしまって…。それで、もっと強くなりたいと思い、移籍をしようと。でも、一回戦で自分に勝った大蔵君が優勝してチャンピオンになった時はうれしかったですよ。自分ももっと頑張らないとって思いました。ただ、大蔵君を含め、今のジムの選手とは何回か試合をしていて、敵のチームに乗り込む感じだったので、みんなに“何しにきてんねん”って思われるんじゃなかと思っていたんですけど、すごくフレンドリーに迎えてくれて、うれしかったですね」

8月20日(日)には、名古屋国際会議場イベントホールで試合が決まっている。

「対戦相手は泰斗選手です。これまで2回対戦していて、次回が3回目。試合が決まったと聞いた時には、“何回やらせんねん”って思ったんですけど、やれって言われた以上はしっかり倒すだけ。今まで2勝していますが、舐めてかかるつもりは全くない。決まったからには全力でつぶしに行きます。何回でも倒してやるぞという気持ち。もう二度と対戦したくないと思わせるぐらい痛めつけて勝ちたいなと思っています」

浜松ヤマト「ZSTを代表する選手になりたい」【格闘家イケメンファイルVol.77】

2017.08.07 Vol.695

 日焼けした肌、筋骨隆々の体。見るからに総合格闘家という風貌の浜松ヤマト。しかし、小さなころは泣き虫だったとか。

「幼稚園ぐらいの時は、いじめられてはよく泣いていたみたいです。それを心配した親が、小学校の時に、少林寺拳法をやらせてくれたのが、格闘技との出会いです。その時は、小学校の体育館で習う感じの練習でしたが、中学2年になり、自分自身も格闘技にすごく興味が出てきた。そこで、どうせやるなら一番強い格闘技をやりたいと思い、総合格闘技の道を選びました。総合格闘技って何でもありなので、実戦で使えそうだなと。実際はけんかはしませんが、いざという時に一番役に立ちそうじゃないですか? ボクシングだと打撃だけなので、相手が柔道家だったら投げ飛ばされちゃうかも知れない(笑)。総合ならすべてに対応できますから」

 一番強くなりたいという思いでプロの道へ。

「19歳でプロになりました。デビュー戦は1分で負けた(笑)。しかもKOで。めちゃくちゃ悔しかったです。プロ昇格前にトーナメントに出場し、3勝していた勢いで出場したのに、すっかり出鼻をくじかれてしまった。トーナメントに出る前はそんなに自信もなかったんですけど、3勝したことで自信がついて、プロでもいけるかもと思っていたところだったので、こういうことなのかと。やっぱりそんなに甘いもんじゃないなと思いましたね。その時の対戦相手がすごい年上の選手だったらまだしも、ほとんど年の変わらない選手だったので、なおさら悔しさが大きかったです」

【格闘家イケメンファイル Vol.76】スターダスト・レフティ 里見柚己(さとみ ゆずき)

2017.07.10 Vol.694

「街でもやっと最近声をかけてもらえるようになり、うれしいです」と里見。真面目な表情と笑顔のギャップが人気の19歳。しかし、格闘技歴は意外と長く…。

「小学校5年生の時にキックボクシングを習いにいったのが始まりです。地元は神奈川県の三浦市ですが、当時は市内にキックボクシングのジムがなかったので、横須賀まで通っていました。ほぼ毎日。週5〜6回は行っていました。子ども心にすごく楽しかったんですよね」

 そんなに夢中になったきっかけは?

「小さい時からずっと格闘技というか、戦うことが好きだったんです。でもその元の元をたどれば父親が格闘技好きだったから。幼稚園の時からアニメやバラエティーはまったく見せられず、プロレスとか格闘技を父親と一緒に見ていました。幼稚園の卒園アルバムにも将来の夢はプロレスラーって書いている(笑)。それぐらいプロレスが好きで、プロレスの雑誌とかも買って読んでいたぐらい。ある意味、父親の英才教育というか、洗脳のたまものですかね(笑)。もちろん、格闘家になった今も応援に来ては、熱くなっています。母親? 最初は心配していたみたいですが、戦績を重ねていくごとに、母も熱くなっています(笑)」

【格闘家イケメンファイル Vol.75】北欧最強の伊達男 Sanny Dahlbeck(サニー・ダルベック)

2017.06.26 Vol.693

 連載初の外国人選手は、モデルのようなルックスと人懐っこい笑顔で、対戦相手だけではなく、日本の女性ファンをもKOしているサニー・ダルベック。“ハンサムで強い”という世の女性(男性も!?)憧れの存在だ。そんな彼は、6月18日に開催された「K-1 WORLD GP 2017 JAPAN 〜第2代スーパー・ウェルター級王座決定トーナメント〜」に出場。試合前日の計量後に話を聞いた。

「お腹…空いていますよね…」とご機嫌をうかがうように恐る恐る聞いた記者にサニーは「気にしないで。今日はこれから『焼肉チャンピオン』に行くから、もっと腹ぺこになっても大丈夫(笑)」と攻撃力が半端ないキラースマイル。それにしてもずいぶん具体的な店名が…。もしかして焼き肉好き?

「大好きです。もともと僕は食をとても大事にしていて、自分の人生の中で重要な部分を占めていると思っている。スウェーデンで焼き肉といったら焼いたお肉をお皿に盛ったものをいうんだけど、日本では生の肉をバーベキューのように焼いて食べるのが新鮮でした。初めて父と日本の『ビーフキッチン』に行って食べた時は、口に入れた瞬間から言葉にならず、父親と目を見合わせる事しかできないぐらいの衝撃だった。そのあとは、“ワオ!”としか言えなかったよ(笑)」

 よほど気に入ったのか、店名を連呼して一生懸命感動を伝えようとするサニー。食べることが本当に好きそうだ。ほかに好きなことは?

「一番好きなのがギターを弾くこと。何もすることがない時は家でただ無心にギターを引くと、格闘技のことを一切忘れて没頭できるんだ。また、音楽のことを勉強するのも好き。例えばキーとかメロディを勉強することでピアノも弾くことができる。それらはすべてギターにつながっているからね。音楽はリラックスする方法の一つだけど、それ以外にも友達と出かけたり、ゲームをしたりするのが好きです。プレステ4とかよく友達とやっていますよ。あとファッションも。いい服を着るのはすごく好きですね。今年、スウェーデンのイケメントップ100にノミネートされ、最終的に39位に入りました。アーティストや俳優、ミュージシャンたちの中で、多分格闘家は僕だけだったと思う。その中で39位なら悪くないんじゃない?」

【格闘家イケメンファイル Vol.74】無限の速射砲 安保璃紅(あんぽ・りく)

2017.06.12 Vol.692

 関西では最強の格闘兄弟として有名だった“安保三兄弟”の末っ子璃紅。昨年から拠点を横浜に移した。

「昨年の9月に上京してきました。兄(次男の瑠輝也)と一緒に来たんですけど、最初は嫌だったんですよ。同じところでやるのが。でもよく考えたら、小さい時からお兄ちゃんと一緒にやって来て、結果を残してきたし、それが一番強くなれる方法なのかなと思って、あえて一緒のジムを選びました。ここ(TRY HARD GYM)にしたのは、HIROYA選手とか大雅選手とか、かっこよくて結果も残しているから。あとサポートとかトレーナ―の人も素晴らしいと思ったので。1人暮らしをしていますが、修行だと思って生活しています(笑)。友達もいないですし、ジムと家の往復で、今は毎日が練習です。日曜日も一応休みなんですけど、ほかの人の試合を見に行ったり、疲れを抜くため温泉に行ったりするだけ。遊びに行こうという気持ちはなく、どこかに行くとしても自分の体を休めるためだったり、体のメンテナンス、気分転換の息抜きなど、格闘技のための事をしています」

 格闘技を始めたのはやはりお兄さんの影響?

「そうですね。長男も次男も極真空手をやっていたので、流れで自分もという感じ。物心ついた時にはやっていました。遊び場が空手の大会の会場だったので(笑)。もともとは長男がブルース・リーに憧れて空手を始めたんですけど。兄たちに対してライバル意識はないですけど、お兄ちゃんが負けた大会でも僕は優勝していました。兄弟の中では、自分が一番優勝回数が多いです。負けず嫌い? 超がつく負けず嫌いです。末っ子って結構おもちゃにされるので、昔から兄たちにいじめられてきたんです。でもお父さんもお母さんも助けてくれない(笑)。わざと泣いたりしてみたんですけど、まったく助ける気配がない。そんな経験から、自分の身は自分で守るしかないなと。心の中で、絶対に見返してやるって思っていました。そういうので、めっちゃ負けん気がつきましたね」

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