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世の皆さま、お願いだからドレスコーズの素晴らしさに気が付いて〈徳井健太の菩薩目線 第150回〉

2022.10.30 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第150回目は、日本のロックバンド「ドレスコーズ」について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 どういうわけか、わたくしのYouTubeチャンネル『徳井の考察』で、ミュージシャンについて話をすると、皆さん好反応を示してくださる。

 THE YELLOW MONKEY、eastern youth――。元々、音楽をやるか、お笑いをやるかで迷っていた10代。NSCに入ったものの、もしあのままギターを弾いていたらどうなっていたんだろう、なんて思うときがある。

 だからなのか、『徳井の考察』でミュージシャンに触れるとき、淡い10代の記憶を思い出すこともあって、熱っぽく語ってしまうのかもしれない。お笑いも音楽も大好きだけど、音楽には音楽の不思議な力がある気がする。

 芸人のライブを見た、DVDを買ったからといって、そのときの思い出が全体的に浮かび上がるなんてことはないかもしれない。でも、ミュージシャンのライブを見た、 CDを買ったときって、そのときの自分の環境だったり、出来事がぶわっと浮かび上がってくる。初めて買ったCDを覚えている人は多くても、初めて笑った芸人のテレビ番組を覚えている人は、あまりいないよねって。

 それだけ思い入れが強い存在。『徳井の考察』で、音楽のウケが良いのもわかるような。

 あるとき、ドレスコーズについてお話をさせていただいた。

 ドレスコーズは、もともと毛皮のマリーズのボーカルだった志磨遼平さんを中心に結成された4人組ロックバンド。その後、志磨さんのソロプロジェクトとなる。志磨遼平=ドレスコーズなので、西川貴教さんとT.M.Revolutionの関係に近いかもしれない。

 どうしても世の中に知ってほしい歌詞がある。音楽がある。もっと知られなきゃおかしい。そんな気持ちから、『徳井の考察』でいかに志磨遼平が作り出す音楽(特に歌詞)が素晴らしいかを熱弁させていただいた。感極まって、泣きながら。

 たとえば、『人間ビデオ』。世界最強に良い曲だ。劇場アニメ『GANTZ:O』の主題歌になった曲だから知っている人もいると思う。でも、世の中の認知が足りない。もっともっと話題になっていい。そう思わないとやってられないくらい素晴らしい歌。

 俺は、志磨さんに会ったことはない。話したことすらない。だけど、彼が作った音楽の素晴らしさを、勝手に褒めちぎりたかった。もうイタいファンのYouTube配信。

 きっとやっちゃいけないことだと思ったけど、どうしても伝えたくて、彼が紡いだ歌詞を勝手に読み上げた。自分のYouTubeチャンネルで、会ったこともないミュージシャンの歌詞を読み上げ、挙句の果てに歌詞の背景を推察して、涙する。怖い人だと思われていなければいいんだけど。

 その模様は、『絶対聴くべき名曲たち【ドレスコーズ】【毛皮のマリーズ】』

からご覧いただければ。何度見ても、情緒がどうかしちゃっている。

 

 なのに、後日キングレコードから連絡が届いた。なんでも、ドレスコーズの最新アルバム『戀愛大全』がリリースされるので、志磨さんの歌詞の中からパンチラインだと思われるものを選んでくれないか――というオファーだった。そんなことが起こるんだ。これだから音楽って最高だ。純粋にうれしかった。

  ドレスコーズ、毛皮のマリーズの恋愛ソング、あるいは志磨さんが提供したラブソングの中から“志磨しか勝たん”と思うフレーズを募る「#ラブソング志磨しか勝たんパンチライン」。バイきんぐ小峠さんなども参加するその企画内で、僭越ながらパンチラインとプレイリスト、そしてコメントを寄稿させていただいた。

  あらためて歌詞を眺めていると、やっぱり志磨遼平は天才だと思った。5~10曲選んでくださいと言われたけど、絞り切れなかったから当然のように上限の10曲フルフルで選ぶ。どれを選ぶか、迷いに迷って、コメントも書いては消して、書いては消して。

  なんといっても会ったことがない。もうこちらからの一方的な手紙。そんな気持ちで渡したメッセージ。キモイと思われていなければいいなぁ。

「手間」を「愛」だと考えてみると、品のあるなしは、愛でうめてみませんか?〈徳井健太の菩薩目線 第149回〉

2022.10.20 Vol.Web Original


“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第149回目は、品と愛について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 自分で言うことではないけど、品があまりない人間だと思う。よくよく思えば、この歳になるまで品というものを真剣に考えてこなかったような気がする。まぁ、あってもなくても別にいいじゃないのって。

 最近、ニュースなんかを眺めていると、「別にそれでもいいんじゃないか」って思うことに対して、世間一般は「品がない」とか「独りよがり」なんて反応をしていることが少なくない。そんな世間のアレルギーを見ると、間接的に自分も「品がない」と言われているような気がして悩ましい。

 歯医者や美容室のイスは上下に動く。高さを調節するために必要な構造なんだろうけど、前々からムダなことだと感じていた。 高くなったところで、歯の治療が早まるわけじゃない。ほんのちょっとの調整。そんなもん必要なのか……なんて考える俺を無視して、いつも高さは調節される。

 ついこの前も、「早く治療してくれないかなー」と思っていた。はっとした。自分は何て品のないことを考えているんだろうって。

 包装紙もそうだ。きちんと包装紙をたたんで保管している人を見ると、なんでわざわざそんなことをするんだろうと思っていた。その包装紙をいつ使うんだろう。使わないのに、きれいに折りたたんでいるのであれば、そんなにムダなことってないんじゃないか。使わないなら、がさっと破いても問題ないよね……、あ、これも品のない考え方。ちょっと前なら気にしなかったのに、ここ最近はそんな些細なことに対して、自分の品のない考え方に疑問を持つようになってしまった。

 無機質に手渡された贈答品よりも、包装紙に包まれた贈答品を手渡された方がうれしいと考える人の方が圧倒的に多いと思う。でも、俺は無機質に渡されたとして、何も嫌な気がしない。タクシーに乗るとき、わざわざ運転手さんがドアを開けてくれるのも、無駄なことのように見えてしまう。それをしてもらったところで運賃が安くなるわけでも、目的地に早く着くわけでもない。合理的に考えれば考えるほど、品とはかけ離れていくことに気が付いたとき、「いい大人なんだから」と、自分を戒めることも必要なんじゃないかと思い始めてしまったのだ。このままじゃ、心が貧乏なおじいさんになってしまうよなぁ。 

 だけど、人間の性格というのはなかなか変わらない。ことあるごとに合理的に考えてしまいがちな自分を、どうすれば「品のある」人間にできるんだろうか。

 難しい。

 少しイスを高くするとか、包装紙で包むとか、ドアを開けるとか、そうした行為は、いつもより手間をかけるアクション。この手間をかけるって視点が、ミソなのではないかと考えてみたい。

 俺は、わざわざラッピング代を出してまで包装紙で包むなんてことはしない。でも、料理をする身からすれば(私、徳井健太は結構料理が好きなので)、手間をかけるという行為は大事だと思う。

 たとえば、下処理をしないと考える人がいたとき、「いやいや、面倒かもしれないけど下処理はしようぜ」とつっこんでしまうし、実際問題として、下処理をしてから料理に取り掛かった方が圧倒的に完成度は高くなる。それに、がんばって作った料理を、一口も食べずに「好きだから」という理由だけで七味唐辛子をかけられたら、俺だったらムッとするに違いない。

 包装紙をビリビリと破いてしまうのは、せっかく作った料理にドバドバと七味唐辛子を振りかける行為と同じかもしれない。あ~これからは、「そんなことする必要ないのに」じゃなくて、「ありがとう。ナイス一手間」と心の中で唱えてみようじゃないか。 

 世の中にはいろいろな「一手間」がある。 それを「愛(情)」だと解釈してみると、すっと喉元をすぎるような気がしてきた。大好きなラーメンだって、どれだけ手間がかかっているか。「そんな作り方は合理的じゃない」なんて批判されたら、二度とラーメンを食うなとか何とか言ってしまいそう。

「これは理解できる」けど「あれは理解できない」。人の好き嫌いの境界線は、あやふやだ。自分で品がないと言っておきながら、カレーライスをぐちゃぐちゃに混ぜて食べる人を見ると、「品がない」と思ってしまう。結局、人間なんて自分勝手な生き物だから、自分の尺度で何事も測りがち。「俺はこういう人間だから」と割り切るのは簡単だけど、どんどん歳を重ねていく中で、そんな割り切り方って、ちょっと雑だよね、やっぱり。

だからこれからは、「手間」がかかっているものを見たときは、「愛」だと思って見てみようと思う。そこに愛を感じたら、その分だけ自分も愛を示す。それが「品」へと様変わり。品を埋められるものは、愛なのかもしれないね。

 

鶴瓶師匠の熱湯風呂に見た、飼い犬じゃなくオオカミになることの大切さ〈徳井健太の菩薩目線 第148回〉

2022.10.10 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第148回目は、『FNSラフ&ミュージック2022~歌と笑いの祭典~』の一幕について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 2夜連続で放送された『FNSラフ&ミュージック2022~歌と笑いの祭典~』。出演者は、ダウンタウン・松本さん、中居正広さん、ナインティナインさんなどなど錚々たる顔ぶれ。まさに祭典だ。

 その中で、熱湯風呂に挑戦するというコーナーがあった。当然、ダチョウ倶楽部さんが登場する。いろいろなことが頭によぎる、バラエティの本気。

 誰が熱湯風呂に入るのか――。白羽の矢が立ったのは、笑福亭鶴瓶師匠だった。なぜかお腹にはサランラップが巻かれていた。ダイエットのためらしい。やっぱりお笑いのスターは“持っている”。

 鶴瓶師匠といえば、2003年の『27時間テレビ』生放送で、ポロリをしたことが思い出される。そうした過去を持つ師匠が、熱湯風呂に挑む。そして、あれよあれよと、どんどん服を脱がされていく。周りの芸人たちは、「隠せ、隠せ」「危ないから、この人は」なんてはやし立てる。

 でも、なんだろう。そうガヤを入れる芸人たちから放たれる、「この人は、ある一線を越えるとホントにやっちゃうから」という危機感と緊張感がごちゃまぜになったような雰囲気。江頭2:50さんにも通ずる“ホントに何をしでかすかわからない感”。いつ調和が崩れてもおかしくない芸人たちの連係プレーと、鶴瓶師匠の一挙手一投足にヒリヒリ、ハラハラ。芸人だったら、こうありたいなとあこがれた。

「どうせ局部は出さないんだろ」と思った人は多かったと思う。でも、そんな“ごっこ”的な空気や、周りにただただ担がれているだけの状況にプチンと何かが切れてしまい、ホントに暴走する――。そういう雰囲気を持っている芸人が、たしかにいる。今回の鶴瓶師匠もそう。

 言うことを聞く飼い犬じゃなくて、本質はオオカミなんだなって思わせる芸人。噛むんじゃなくて、「噛むんだろうな」と思わせる芸人。この違いが「妙」だと思う。毎回噛むと、それは単に使いづらい演者だと思われる。だから、「噛むんだろうな」。それがあることが望ましいのだと、サランラップ姿の鶴瓶師匠を見て学ばせていただいた。

 ある意味では、それはどこに地雷が埋まっているかわからない怖さにも似ているかもしれない。あきらかに、「このテーマに触れたらダメだろうな」という人って、怖いけど不気味ではない。でも、どこに地雷が埋まっているかわからない人って、なにより不気味な怖さがある。それもまた、「噛むんだろうな」という雰囲気を持っているからこそ可能にしているのだと思う。

 その雰囲気を、一般社会で不特定多数の人に向けるのはリスキーだ。同じ部署にいる同僚が、そんなただならぬ雰囲気を発していようものなら、多分、浮いてしまう(それでもかまわないという人はそれでいいんだろうけど)。

 一方で、俺たちのような芸人の世界やメディアの世界、個人事業主の世界においては、「飼い犬」にならない雰囲気……とりわけ“対同業者”に対しては大事なんじゃなのかと思う。舐められ続けると足元を見られ、雑に扱われてしまう。でも、それって決してお金の話じゃなくて、態度や雰囲気としてのオオカミらしさ。

 たとえば、グルメリポートをするとして、この人をキャスティングしたら「平気でマズい」とか言いそう……だけどそれ以上に、面白いものができあがる。そんな風に思ってもらえたら、その芸人、そのタレントは、鎖を断ち切って自立した「ヤバさ」のスキルがあるってことなんだろうなぁ。

 もしかしたら噛まれるかもしれない。だけど使いたい、一緒に仕事をしたい――そう思ってもらうには、一にも二にも「実力」がなきゃいけない。結果を残せる「強さ」がないと話にならない。だから、オオカミなんだろうなと思う。自分にはそうした強さがあるのだろうかと自問自答する。

 目の前に料理が運ばれて、その一皿がマズかったとしても、「マズい」なんてなかなか言えないよね。キッチンの向こう側では一生懸命作ってくれた人がいるだろうし。そういう想像力を忘れないようにしながら、オオカミの群れを目指していきたい。

 

※「徳井健太の菩薩目線」は毎月10・20・30日に更新します

「ソウドリ解体新笑」で明かされた、演者とスタッフの魂が乗り移ったくりぃむしちゅーさんの番組〈徳井健太の菩薩目線 第147回〉

2022.09.30 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第147回目は、「ソウドリ解体新笑」について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 くりぃむしちゅー有田(哲平)さんがMCを務める『賞金奪い合いネタバトル ソウドリ~SOUDORI~』。その中で、今年4月から「ソウドリ解体新笑」というコーナーを定期的にやらせていただいている。

 毎回、今まで明かされていない有田さんのお笑い年表を開いたり、有田さんの転機を窺えたり、ソウドリウォッチャーの私、徳井健太は恍惚の連続であります。ありがとうございます。

 8月末に放送された「ソウドリ解体新笑」も、とても熱くて、まぶしかった。くりぃむしちゅーのお二人が、どのようにして冠番組を手にしていったのか……その裏側を有田さんが明かしてくれたのだ。

 お二人にとって初となる冠番組は、『くりぃむナントカ』だったという。くりぃむさんは早くして売れたというイメージがあった。だから、2004年まで冠番組がないというのは、少し意外だった。

 転機となったのは『虎の門』。そこで出会ったのが、その後、『くりぃむナントカ』を立ち上げる藤井智久プロデューサー(当時)だ。 

 意気投合したくりぃむさんと藤井さんは、特番の冠番組『生くりぃむ』という生放送番組を仕掛ける。ところが、放送前日までくりぃむさんは、『ぷらちなロンドンブーツ』のロケでイタリアにいたらしく、最悪の事態に巻き込まれる。飛行機が欠航し、初めての特番、しかも生放送という大舞台を欠席することになってしまったのだ。想像するだけで、悲しいし悔しいし怖ろしい。

 あくまでイレギュラーなトラブル。くりぃむさんに非はない。しかも、同じテレビ朝日の『ぷらちなロンドンブーツ』のロケによるまさかの事態。「もう一回何かやりましょう」、そうテレ朝サイドから声を掛けられたそうだ。

 このチャンスに、くりぃむさんは、恩人である明石家さんまさんと一緒に何かできたらと提案したという。だけど、さんまさんは色々あってテレ朝には行けない。でも、「くりぃむしちゅーとは出たい」。そこでさんまさんは、MBSでやっているラジオにくりぃむさんを呼んでトークをし、その模様をテレ朝で流すというウルトラCを敢行した――。全員、愛。愛がなければ、できっこない。

 結果を出したくりぃむさんは、2004年に『くりぃむナントカ』を始めることになる。だけど、これで終わりじゃない。このお話は、大河ドラマだ。

 同番組は、「芸能界ビンカン選手権」や「長渕ファン王決定戦」など数々の名企画を生んだ名バラエティだ。当然、視聴率もファンも獲得した。となると、期待してしまう。4年後、『くりぃむナントカ』は、水曜19時台のゴールデン帯へ昇格することになる。

 ところがその当時、裏番組には絶対王者がいた。ヘキサゴン。お化け番組の壁は高く、返り討ちに遭った『くりぃむナントカ』は、半年で打ち切りになってしまった。

 藤井さんは、「判断ミスだった」とくりぃむさんに謝ってきたという。その席で藤井さんは、もう一回仕事をしたい、ゴールデンでくりぃむさんと仕事がしたいと伝えた。ちゃんと視聴率が獲れて面白い番組をゴールデンで作るから。それが当たれば、また深夜でお笑いに特化した番組ができるから、少しの間、我慢してくれ――。

『シルシルミシル』はこうして誕生したと、有田さんは笑って教えてくれた。その後、くりぃむさんは深夜帯で『ソフトくりぃむ』を開始する。背筋がゾクゾクした。

『ソフトくりぃむ』は、俺たち平成ノブシコブシが『ピカルの定理』に出ていた頃だったから、よく出演させてもらった番組の一つでもあった。当時の俺は、実力がないながらもできる限りのことはやっていたつもりだった。

 でも、有田さんから語られる大河を知って、くりぃむしちゅーさんと藤井さんの魂が乗り移った番組だったんだと、今さらながら理解した。「できる限りのことはやっていたつもりだった」は、言い訳だ。あのとき、もっと頑張れたんじゃないかと、有田さんの話を聞いて後悔した。『ソフトくりぃむ』は、まるで独立を勝ち取った小国が、 “列強何するものぞ”の精神で、死ぬ気でやっていた番組だったんだ。振り返ると、ヒリヒリした現場だったのには、道理があったんだ。

 深夜に生まれたくりぃむさんの冠番組は、いまは『くりぃむナンタラ』となり、今年4月からは毎週日曜日の21時55分から1時間番組になった。ゴールデン・プライムタイムに、巡り巡って舞い戻ってきた。

 テレビ番組は、演者とスタッフの魂によって生まれるものがある。俺が言うことじゃないだろうけど、ゲストとして登場する出演者は、その気持ちをちゃんと想わないといけない。有田さんの話を聞いた今、いっそうその気持ちを持って、皆さんの番組にお邪魔したいと、私、徳井健太は思っています。

『出張!徳井の考察』で垣間見た「周りを気にすることが増えた」若手芸人の世界〈徳井健太の菩薩目線 第144回〉

2022.08.30 Vol.web original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第144回目は、若手を通じて感じた表現の見解について、独自の梵鐘を鳴らす――。

『ドキュメント72時間』、恵迪寮の“その後”を追って。そこは小さな国だった。〈徳井健太の菩薩目線 第143回〉

2022.08.21 Vol.web original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第143回目は、北海道大学の恵迪寮について、独自の梵鐘を鳴らす――。

芸人をプレイヤーのままでいさせる『千鳥の鬼レンチャン』。だから、面白い。〈徳井健太の菩薩目線 第138回〉

2022.06.30 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第138回目は、『千鳥の鬼レンチャン』について、独自の梵鐘を鳴らす――。

芸人たちの打ち合わせ論、台本論。テレビの向こうのバカリズムさんから教わったこと。〈徳井健太の菩薩目線 第137回〉

2022.06.20 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第137回目は、台本について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 いろんなテレビ番組がある。その数だけ台本がある。

 台本をどう紐解くか。おそらく、タレントや芸人によって、その解釈の仕方は、これまたいろいろあると思う。

 台本がある。ということは、打ち合わせもある。その台本を確認しながら、番組ディレクターなどがあれこれと文字通り“打ち合わせ”をする。

 徳井健太の場合。楽屋に入ると台本が置いてあるので、必ず目を通す。流れを確認し、自分なりの答えを出し、収録に臨む。けど、その前に、打ち合わせがある。

 台本を一言一句追っていくような打ち合わせをすることがある。でも、それはすでに読んだ内容だから、正直なところ、もっとプラスアルファのある打ち合わせの方がうれしかったりする。

 たとえば、流れをかいつまみながら、特定の箇所を説明し、「ここでこういう盛り上げ方ができませんか?」などなど。せっかく大人が向き合っているのだから、写経のように、ただただ台本の文字をなぞるだけの打ち合わせは、気持ちがどんどん「無」に近づいていってしまうというか。写経だったら、それでいいんだけど。

 そんなふうに考えていたある日、それって「凡庸だったんだ」と気が付いた。

『ワイドナショー』を見ていると、打ち合わせはいるか、いらないかみたいな話をしていた。タイムリー。

 出演者の多くが、やはり杓子定規な打ち合わせであれば、あまり意味はないのではないかといった論調に傾いていた。バラエティでは、台本通りに書いてあっても、そうならないことが多々ある。どうなるかわからないことについて打ち合わせをするのは、“たられば”の世界。だったら、実際にやったほうが早いよねって。

 ところが、バカリズムさんだけは違う視点を持っていた。「打ち合わせは必要」。なんでだろう。

 めちゃくちゃ面白い台本、それこそ笑いを前面に押し出したようなバラエティの台本があったとき。その打ち合わせをするディレクターが、もしも台本を一字一句読んでいくタイプ、ものすごく真面目なタイプだったら、どうなるだろう。一見、お笑い風の番組だけど、実はそんなにバラエティ的な要素は求められていないのではないかと疑う、そうバカリズムさんは話していた。

 たしかに、バラエティ番組といっても多種多様だ。情報系もあれば、ゲストに俳優さんがくるバラエティもある。台本を開くと、とても楽しそうで、お笑い色が強いんだろうなとわくわくする。情報系だけど台本が面白いんだったら、俺は芸人感を出して収録に臨もうと決める。だけど、バッサリとカットされるというのは珍しいことじゃない。

 その逆もある。情報がメインなのに、ボケた部分が意外に使われていてびっくりするなんてこともある。そういうケースを振り返ってみると、打ち合わせをするディレクターが、台本に書いてあることをあまりなぞらずに、余白を感じさせるような打ち合わせをしていたような。

 バカリズムさんは言う。台本の内容と実際に打ち合わせをする人物とのシンクロ具合が重要なのであって、それを見極めるために打ち合わせという場は必要だ、と。目からウロコ。レベルが高い人の考え方ってすごい。

 たくさんの番組に出させてもらうようになると、芸人である俺たちは、打ち合わせで「面白いことやりましょう。どんどんやってください」なんて言われる。意気揚々とオンエアのふたを開けると、バッサリいかれ、よくわからない反省タイムへ突入する。「何がいけなかったんだろう」。でも、それは良い、悪いの話というより、合う、合わないの話でしかなく、そんなことを繰り返しているうちに、人間不信よろしく打ち合わせ不信になってしまう。「どうせ話が違うんでしょ」なんて思ってしまって、結局、自分なりの答えを出して、収録に臨む。言い方を変えれば、個人プレー。それでもいいかなんて走っていた。

 でも、番組はたくさんの人間がいて、作られている。理想を言えば、どんな番組でもチームプレーを心がけたい。その気持ちをズレさせないために、打ち合わせという場を有効利用し、フォーカスを合わせる。バカリズムさん、勝手に勉強させていただきました。ありがとうございます。

 芸人たちの台本論。芸人たちの打ち合わせ論。面白いかもしれない。

 たとえば、極楽とんぼの加藤浩次さん。伝説のバラエティ番組『めちゃ×2イケてるッ!』は、毎回ものすごい厚みの台本があったそうだ。めくると、命を懸けて、寝る間も惜しんで書かれていたことがわかるくらい真剣な台本だったという。だから――。

 加藤さんは、命を懸けてぶっ壊しにいったと話していた。命を削って作った台本VS命を削ってぶっ壊しにいく芸人。その死闘の数々が、極楽とんぼの名シーンとしてカメラに収まっているんだと思う。本気同士が対峙するから壊せる。ちゃんとしたものがあるから、壊す行為にカタルシスが生まれる。

 バラエティの現場って面白い。本気になるために、打ち合わせって大事なんだ。 

願いが叶った日。「蒙古タンメン中本芸人」で、俺は泣きそうになった〈徳井健太の菩薩目線 第136回〉

2022.06.10 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第136回目は、『アメトーーク!』の「蒙古タンメン中本芸人」について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

 去る5月26日、『アメトーーク!』で「蒙古タンメン中本芸人」が放送された。

 中本芸人メンバーは、小宮浩信(三四郎)、せいや(霜降り明星)、山崎ケイ(相席スタート)、徳井健太(平成ノブシコブシ)、五明拓弥(グランジ)、向清太朗(天津)、遠山大輔(グランジ)、鈴木もぐら(空気階段)――。

 徳井健太、五明拓弥、向清太朗。この3人が地上波で、蒙古タンメン中本について語る日を、ずっと光の届かない場所から願っていた。まだ蒙古タンメン中本が世間に見つかっていない夜明け前。俺たち三人は、地下トークライブで同店のすばらしさを好き勝手に布教していた過去を持つ。

 少し前、宝島社から発売されたムック本『蒙古タンメン中本 真空断熱タンブラーBOOK』に、俺たち3人は登場させていただいた。その撮影の帰り道、ABEMAの『チャンスの時間』でも話した通り、向さんからポツリと相談された。

「徳井、売れるにはどうしたらいいと思う?」

 天津は一期上の先輩にあたる。もう出会ってから10年近く経つ、愛すべき先輩。そんな向さんが、真剣なまなざしで聞いてくる。

 俺は、このコラムでも触れたように、「芸人に嫌われるようなことをしていかなきゃいけないと思います」と持論を話した。敬愛する一個上の先輩は、何かを考えるように小さく頷いていた。

 その矢先、ふってわいたように、『アメトーーク!』で「蒙古タンメン中本芸人」の収録が決まった。ありがたいことに、俺たち3人もキャスティングされた。

 本番が始まる前。楽屋で、念を押すように「どんどん前に行ってください。イタいと思われてもひよらないでください。売れたいという気持ちがあるんだったら、前に突き進んで。嫌われるくらいに」と伝えた。俺ごときが言うなんておこがましい。でも、どうしても言葉にしておきたかった。  

 本放送を見ていただいた方ならわかると思う。向さんは輝いていた 。

 地下トークライブで蒙古タンメン中本を話し始めた10年前から、俺はいつか『アメトーーク!』のテーマになる日が来ると確信していた。何の根拠もないけど、きっと日の当たる場所で語られる日が来ると信じていた。その時代の俺は、蒙古タンメン中本の本店がある板橋に暮らし、来る日も来る日も、麺をすすっては、 蒙古タンメン中本芸人として呼ばれる日を妄想していた。

 その妄想仲間が、もう20年来の付き合いになる一期後輩の五明だった。トークライブを始めるにあたって、二人の狂信者だけでは破綻すると考えた俺は、一人クレバーな人がいてほしいと思って、同じく中本ファンだった向さんを誘うことにした。向さんは、ちゃんとなんでもできる人だ。この人がいれば、劣勢だってひっくり返せる。『アメトーーク!』の冒頭、「クレバーなトークができる人です」と紹介したのは、そうした歴史と信頼があったからだった。

 そう紹介したはずの向さんは、なりふり構わず自分が話したいことを、槍が飛んでこようが弓矢が飛んでこようが、ひたすらに喋り続けた。ぜんぜんクレバーじゃない。その姿を見て、俺は収録中であることを忘れて、泣きそうになっていた。もう少しで、突然徳井が泣き出す――放送事故になるところだった。

 他の人が十分ウケていて、もうそこから先は話すことがない。そんな状況でも、向さんは 「いや、でも」と押し出しにいく。とっくに土俵を割っているのに、まだ突破しようとする覇気にあふれていた。

 収録を終えた俺たちは、なんとも言えない多幸感に包まれていた。「一杯だけ飲もうか」。誰が言い出したかはわからない。気が付くと、六本木交差点近くの飲食店に入って、深夜のほんのささやかな乾杯をあげていた。そのとき飲んだお酒は、今まで飲んだお酒で一番美味しかったかもしれない 。

 収録終わりの酒というのは、どうしたってその日の自分の立ち居振る舞いやトークを顧みてしまう。俺のような未熟な芸人は、反省することの方が圧倒的に多いから、「あのときはこうすれば良かったな」、「もっとこうできたんじゃないかな」とか逡巡してしまう。楽しいお酒の中にも、どこか苦い味を感じてしまう。

 やりきった。声には出さないけど、そんな気持ちが後押しして、苦みを感じない夜。『アメトーーク!』という究極のハレの場で、10年来のケ(ガレ)が消えた夜。しかも、20年来の五明、10年来の向さんと。はじめて太陽の光を浴びると、こういう気持ちになるのか、なんて思いながらグラスを持ち上げた。

 すべっていたかもしれない。でも、この収録に関しては、「やりきった」と心から思える。やりきった後の、お酒は美味い。血生臭くて殺気を帯びるような現場があるから、美酒になる。先輩芸人たちは、たくさんほろ苦いお酒と、それにも増して美味しいお酒を飲んで、今があるのだと思う。 

人間は、一つ何かが変わると、がらっと見える景色が変わってしまう〈徳井健太の菩薩目線 第132回〉

2022.04.30 Vol.web original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第132回目は、あるイベントについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

『敗北からの芸人論』を発売して思った、“売れる≒同業者から嫌われる”ということ〈徳井健太の菩薩目線 第127回〉

2022.03.10 Vol.web original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第127回目は、2月28日に上梓した『敗北からの芸人論』について、独自の梵鐘を鳴らす――。

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