【インタビュー】ノゾエ征爾「自分の青春の原点というか衝動の原点に立ち返ったような作品」

(撮影・蔦野裕)

2016年には故蜷川幸雄氏の遺志を継ぎ「1万人のゴールド・シアター」の演出を手掛ける


 はえぎわは昨年、20周年を迎えた。初期の作品は取り上げる題材も台詞も、もちろん舞台上も尖った表現が多かったのだが、徐々に質感が変わり、人への優しさといったものも感じられる作品も増えてきた。
「作風が変わってきたポイントとしては、強いてあげるとしたら老人ホームでの巡回公演を始めたことはあるかもしれないです。あとはワーとかギャーとかやることに単純に飽きたということもあるんですけど(笑)。自分自身もずっと同じであるはずはないですし、好きなものが変わってきたということもあるかなとは思います。あとは作家として仕事にし始めた時に、文学としてもちゃんとした言葉が使えるようになりたいなという思いもあったんだと思います」

 今回の作品は題材やタイトルを見ると子供を取り上げた作品に思える。それは子供が生まれたことも大きい?
「それは間違いなくあります。僕にとってもそれも全然普通のことというか。実際、生活の中に彼がいるから子供のことは普通に考えますし」

 では今回の作品は子供にも優しいような作品に?
「“子供にも楽しんでもらえるような作品を”とか言いつつ、今回はそこまでなってないかも(笑)。久々にバカみたいなエロいワードとかが出てきたりしています(笑)。最初は“絵本にでもできるような作品にしよう”とか考えていたんですけど“思ってたのと違うな”って(笑)。

 でも扱っている題材としては高校生とかバンドとかが絡まっているんですけど、どこか自分の青春の原点というか衝動の原点というか、そこに立ち返ったような作品にはなっていますけどね」

 最近のノゾエの作品は流行を取り入れるとかカッコいい話といったものは極力避けて、普遍的なものや自身の中から自然に出てくるものを書いている印象。
「どこか職業としてやり切れてないところがまだありまして、スキルで書けないというか、どうしても自分の衝動が大事になってくる。一応書けてはいるんだろうけど、なにかワクワクしないなと思ったものはボツにしてしまう。では今何にワクワクしているんだろう?って考えると、これでもない、あれでもない、ワクワクしない。“やばい。書けない”みたいな状況は書いているときにはどうしても生じ続けています。いろいろなことを知りすぎたがゆえに、書くたびにどんどん時間がかかってきている気がしています」

 2016年には亡き蜷川幸雄氏の遺志を継ぎ、1万人のゴールド・シアター2016『金色交響曲~わたしのゆめ、きみのゆめ~』の演出を手掛けた。
「当初は脚本だけの予定だったんですけど、蜷川さんが亡くなられて、僕には二択が与えられたんです。さいたまスーパーアリーナでの公演なので、そういう大きい公演を手掛けたことのある演出家を呼ぶか僕が手を挙げるか。それで“ではやらせてください”と言いました」

 そこに躊躇はなかった?
「やらなきゃダメだという感じがありました。あの企画では蜷川さんとは1度だけお会いしたんですが、その時に“楽しみにしています”というすごい笑顔をいただいたんですけど、あれは他の人は誰も見ていない。僕しか見ていないから、自分がちゃんと引き継がないとダメだという思いがありました」

 演劇人としてのキャリアの中でもとても大きな経験。
「その後も、1年に1回くらいのペースで“ゴールド・アーツ・クラブ”の公演もやらせてもらっていて、その活動も大きい経験になっていますね」

 昨秋の東京芸術祭では74人の出演者による野外劇『吾輩は猫である』の演出を手掛けた。
「あれは…(笑)。さいたまの金色交響曲は出演者が1600人だったんですが、それ以降の公演では700~800人くらいでずっとやっていて、ちょっとまひしちゃっていまして(笑)。それで池袋の野外なんですが、最初のオーディションの時に500人くらいの人が来て、会っているうちに“一緒にやりたいと思う人全員に出てもらおう”って思ったんです。そうしたら74人になった。大人数ということに関してはまひしているので74人を多いと思っていないという(笑)。ただ“人のチカラでなんとか作品を”という気持ちはありましたね」