顔出しNGの漫画家・松浦だるまと匿名デビューのセクシー女優・夏目響が異色対談

セクシー女優の夏目響

松浦「名前というものをどうとらえているんですか?」

 夏目は「夏目響」という名前で本格デビューする前に「名前はまだない。」という名前でデビューしている。

 松浦「匿名でデビューされていますよね。インタビューを拝見したんですが、女優名を持つことに抵抗があったとありました。言葉を大事にされていることとつながると思うんですが、名前について、名前というものをどうとらえているんですか?」

 夏目「バカみたいな回答なんですが、名前は大事だと思います。例えば人に挨拶するときでも、私は“ひびき”だから口角がちょっと上がったりする。そういう意味でも自分の名前はいろいろなところでの印象も変わると思います。ただ夏目という苗字は私が考えたものではないんです。もうひとつ候補があって、画数なども考慮したんですが、夏目という苗字じゃなかったら響じゃなくて、もう少し甘めの“いかにも女の子”といった名前だったかもしれないんですが、それだとキャラクターが固定されちゃうかなとか思って、いくつかの候補の中から響になりました」

 松浦「私個人の印象なんですが、ツイッターとかnoteの画像や文章を見ていると、響というお名前と文章とたたずまいに芯があってつながっている感じがしました。自覚はないかもしれませんが、すごく素敵なんです。確かであって、確かにいて、でも揺れているような、不思議な魅力をお持ちだなと思っていました。美学もエロスも自然につながっているというのがすごく魅力的。初めてそういう方にお会いしたと思っています。だから文章も赤裸々というか、自分のきれいな部分も汚い部分も書かれている。漫画家と違うのは、漫画家は漫画が作品として世に出るけれど、セクシー女優さんは自分自身が作品になる。自分の名前で作品が出るわけだからセクシー女優さんのほうがそういう部分はありますよね。それってとても勇気のいることなんです、私にとっては。noteの文章も同じで自分を作品にしている感じがします。内容も面白いからついつい見てしまうし、幅広いですよね」

 夏目「noteはただの恥なので(笑)。すごく恥ずかしいです。何も考えてないわけではないんですが、勢いだけで書きたいときに書いているんです。本当は見直して書き直せるならそれもいいかなと思うんですが、面倒くさがりだからやっていないだけで(笑)」

 松浦「いつか本を出していただきたいです。思ったことを書けて、衝動的なものを出せる人ってすごいと思う。衝動的に書いて、理性的に添削している部分もあるんでしょうけど、何かが伝わってくる、圧倒される文章というものはなかなか書けるものではないです。普段はどういうものを読まれているんですか」

 夏目「最近はあまり読めていないんですが、よく読んでいる文章はニュースです。小説は中学生くらいまでは図書館でよく借りて読んでいたんですが、高校生、社会人になってからは全然です。たまに友達に進められた実用書とかを読むくらい」

 松浦「どこから出てくるんでしょうね。不思議ですね。面白い。そういうところから来る理性や客観性が文章の中にあるのかもしれない。興味深いです」

松浦「きれいな方でも美醜についてはすごく気にしている」

 ――累を描こうと思ったきっかけは?

 松浦「書きたいことって最初からあるわけではないんです。あまり自覚できていない。まずアイデアがあって、それが芯となってそこに肉付けしていく中で生まれていくみたいなところがあります。

 キスで顔が入れ替わるのだとしたら、女同士で美醜を取り扱ったほうが入れ替わったときに面白いよな、とか。そういう理由だけで美醜を扱うのは誰かに対して失礼に値するかもしれないなとは思うんですが、では自分にとってどうだったんだろうと、そこで初めて考えるんです。

 私は美醜についてはあまり気にしてきていないつもりなんです。なぜなら私の顔はこちら、作品のほうなので。人前に立つということはないので、自信はないけれど気にしてはいない。

 でも記憶を掘り返してみると“そんなことはない”と思うようになっていきました。やっぱり誰も無関係なことではないんだなと。しかもきれいな方でも美醜についてはすごく気にしている。

 夏目さんも少しそういう印象があります。きれいな方でもきれいゆえの悩みがあったり“足りない”と思ったりするんです。そういうことを発見していきました。そしてテーマについては、“美醜”“入れ替わる”、そこに当時知る機会があった『累ヶ淵』の説話を入れてみたらどうだろうかと考えました。累ヶ淵は醜女が醜さゆえに殺され、憑依して祟るという江戸時代の実話怪談で、昔の美醜感と今の美醜感の共通点といった面白いことが発見できたので、美醜をテーマに書こうと思いました。

 その累ヶ淵が私の累と違うのは累ヶ淵の登場人物の累は目に見えない幽霊であって、それが菊という娘に取りついて、菊が累の言葉をしゃべるんです。それって、累の役を菊がやる。演劇みたいなことじゃないですか。もともと日本での演劇の起源って、神託・憑依だと思うんですよ。だから演劇を入れたら面白いんじゃないかという感じで全部盛り込んでいって、肉付けしていきました」

 夏目「累自身が子供の頃、結構いじめられていたじゃないですか。そういうことも自分自身に重なったこともあって、最初は多分そういうところにも惹かれていったんだと思うんです。あと、自己肯定感の話をされていたと思うんですが、そういうのもご推測の通り低いので(笑)。それもあって、美醜、特に人の美しさ、見た目を気にしているところもあります。男性が読んでも面白いと思うんですが、女性、特に私くらいの年代で、見た目でつらい思いとか、なにかしら引っかかることがある人にはとても刺さるお話だと思います」

 松浦「自分に重ねて見られている方は結構多いと聞きます。昔からいじめを受けていたというファンレターをいただいたり、夏目さんみたいにおきれいな方でもいらっしゃるんです。サイン会ですらっとした背の高い美女が“自分は人前で発表する仕事をしているんですが、自信がないんです”と相談をしてくださったこともありました。最初は“ええ?”と思ったんですが、やっぱりそうなんだなとも思うようにもなりました。こんな言い方はなんなんですが、表面の悩み、地獄というのは誰も抜け出せないんだなと。累ではそういうことも書いているんです」