フィクションとリアルの境界を飛び越えたガールズムービーの快作『マイ・ブロークン・マリコ』【黒田勇樹のハイパーメディア鑑賞記】

 こんにちは、黒田勇樹です。

 この前の週末(10月1、2日)に斎藤このむくん、緑川睦君が結成した「演劇ユニット天竺」で即興劇をやってきました。楽しくもあり、難しくもあり、そしていろいろと勉強させてもらえる空間でした。こういうことの積み重ねが自分が作品を作るうえでの引き出しになるんだろうなと思いました。このむくん、睦さんありがとうございます。

 さて、今週は映画の鑑賞記です。

黒田勇樹

 公式で公開されている範囲のネタバレを書くと“ブラック企業に勤める女の子が、幼馴染の、家族や男に恵まれず不幸な人生を送った女の子が自殺したから、遺骨を遺族から奪い取って仕事もぶっちぎって旅に出る”という、そこそこ…本当に絶妙に“そこそこ”とんでもないストーリー。

 筆者は映画を観る中で「視点」を大事にしていて、これはオリジナルのカテゴリーかもしれませんが、例えば、踊る大捜査線みたいな「場面がどんどん移り変わって“状況”が説明され続ける」構造の作品を“三人称”。

 ラブロマンス全般を“二人称”の映画と呼んでいるんですが、今作は、まごうことなき“1人称”の映画でした。
 永野芽郁さんが演じるヒロインの主観だけで、(ほとんど)主人公の映っていない画面が見当たらないぐらいに、延々と描写され続ける。
 台詞と台詞の間に、本人のモノローグが入るとか、正気の沙汰じゃないですよ!

 登場人物の背景も、最低限しか、言葉での説明はされません。
 例えば、友人の死を知った主人公がOPで、鳴ったスマホの「クソ上司」という着信画面を数秒見て切るという行為だけで、その後出てくる上司が「ああ、こいつクソヤローなんだな」と、わかったり、主人公が友人のことを「ダチ」と呼ぶだけで人間性がわかったり、とてもスマート。

 窪田正孝さん演じる「ずっと敬語なイケメン」とか、もう、マジで「ファンタジーの世界の住人だろ!」という展開が続くんですが、この“描写のスマートさ”で、滅茶苦茶リアルに“こういうこともあるのかもな”とも感じてしまう。

“女の子の可愛さと儚さ”というファンタジーをずーっと観ることもできるし“人間という生き物の複雑さ”を、リアルにずーっと観ることもできる、素敵な映画でした。

 ラストシーン、「こう終わってくれ!」と、思っていた通りに見事に終わってくれて、客席で小さくガッツポーズしたのは内緒にしてください。

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黒田勇樹(くろだ・ゆうき)
1982年、東京都生まれ。幼少時より俳優として舞台やドラマ、映画、CMなどで活躍。
主な出演ドラマ作品に『人間・失格 たとえば僕が死んだら』『セカンド・チャンス』(ともにTBS)、『ひとつ屋根の下2』(フジテレビ)など。山田洋次監督映画『学校III』にて日本アカデミー賞新人男優賞やキネマ旬報新人男優賞などを受賞。2010年5月をもって俳優業を引退し、「ハイパーメディアフリーター」と名乗り、ネットを中心に活動を始めるが2014年に「俳優復帰」を宣言し、小劇場を中心に精力的に活動を再開。
2016年に監督映画「恐怖!セミ男」がゆうばり国際ファンタスティック映画祭にて上映。
現在は、映画やドラマ監督、舞台の脚本演出など幅広く活動中。

公式サイト:黒田運送(株)
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