音楽家の梶浦由記が活動30周年!アニソンで「自分の居場所が見つかった」

アニメの劇伴の作曲を始め「“こんなに何でもやっていい場所がこの世にあったんだ”というのがすごく衝撃」と梶浦

 これまでの30年間を10年ごとの節目で見ていくとどのように振り返りますか。

「私は1993年に『See-Saw』というグループで、J-POPというフィールドでデビューしたんです。当時はいろんなジャンルの曲があまり求められない時期というか、みんなが同じ曲を聞いてカラオケに行って、みんなが同じ曲を歌うという時代。100万枚売れる曲がいっぱいあって、明るくて楽しい曲とか、売れたかったらカラオケで歌える曲を書きなさいという時代でした。

 曲は自分たちで書いていたんですけど、編曲するにしても“君たちがやってることはマイナー過ぎるから、もうちょっとメジャーなところに持っていこうよ”とスタッフに言われることもあって、当時の私は“それがプロになることなのか”と思ったりもしていました。今思うと最初の10年はもう馬鹿すぎて、何を考えていたのか自分でもよく分からないところもありますね(笑)」

 90年代後半からアニメのBGMや劇伴の作曲も始めるようになり、2000年代に入ると深夜アニメを中心にその仕事が増え始めます。

「劇伴の仕事をやるようになって、やっと自分の世界が開けた、自分の居場所が見つかったという感覚がすごく大きかったんですよ。J-POPの時には必要ないと思っていた私の中にある音楽ジャンルを全部出してよくて、“こんなに何でもやっていい場所がこの世にあったんだ”というのがすごく衝撃でした。

 同じ劇伴でも日本映画やドラマの世界にはもう長い歴史があって、“劇伴とはこういうものだ”というある程度確立されたスタイルもありました。ですが、当時の深夜アニメはまだまだ黎明期で、“カッコ良ければ何でもOK、どんな音楽だってどんと来い!”というような若さと自由さが業界全体にあったんです」

 その後、深夜アニメから『魔法少女まどか☆マギカ』や『鬼滅の刃』など、社会を動かすような作品も現れるようになりました。この10年をどう見ていらっしゃいますか。

「今は深夜アニメの作品も増え、深夜でも子ども向けのような作品から、大人が見るような文学的な作品まで幅広くなりました。その分求められる劇伴もどんどん膨らんできた感じがしますね。私は作る音楽のクセも強く、音楽性も少し偏っていると思うのですが、とてもありがたいことに、これだけ作品の裾野が広いと私みたいな音楽家にも居場所があるんです」