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フリースタイラー吉村崇の圧倒的なパンチラインにほれぼれした話〈徳井健太の菩薩目線 第246回〉

2025.06.30 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第246回目は、新婚の相方・吉村崇について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 相方である吉村は、結婚したというのに芸能界の“天下獲り”を諦めていないらしい。吉村は、「天下と家庭は両立できるのか?」をテーマに、『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(6月20日放送回)に登壇し、その胸中を語っていた。

 平成ノブシコブシは賞レースとは無縁だから、やっぱりコンプレックスがある。特に、吉村はそれが強い。この話をすると、賞レースにかすっていない僕たちがテレビに出ているだけですごいと言われるし、吉村に限って言えば、賞レースで結果を残せていない芸人たちの“希望の星”といっても過言じゃない。

 お笑いファンならいざ知らず、一般の人たちからすれば賞レースで結果を残しているかどうかなんて興味がないだろうから、「テレビに出続けている今」があるだけで世間的にはすごいことなのだと思う。

 吉村自身、そんなことは10000回くらい言われてきただろう。だけど、オードリーの若林くんが話すには、「自分は賞レースとは無縁だから」と、お酒が入ってくると吉村はこぼすという。だから吉村は、破天荒なことをやり続けなければいけない。そう思い続けている。結婚したというのに。

 番組をご覧になった皆さんには、同じ説明をすることになりますが、番組内で吉村は自分にないものとして、澤部に対してはツッコミのスピード、若林くんには切り口、アルコ&ピースの平子さんにはコント力、酒井くんには度胸といったことを挙げていた。全員、ピンと来ていなかったから、吉村の考察力はとても低いんだろう。

 そのあと、澤部が「徳井さんのがないじゃないですか?」と口を開いた。すると吉村は、「打ち合わせの段階では、徳井が出演するとは決まっていなかったから、考えていなかっただけ」と説明し始めた。

「だったら、今、徳井さんは何かを言ってくださいよ」

 澤部が言うと、吉村は少し考え込んで、「徳井はお笑いを信じている」と答えた。

 僕は、その言葉を聞いてちょっと震えた。よく咄嗟に、こんなフレーズが言えたなって。「お笑いを信じている」という言葉は、考えて出てくる言葉じゃない。例えばこれが、「お笑いの力を信じている」であれば出てきそうなものだけど、「お笑いを信じている」は、また違う。

 シンプルに、その言葉は僕にとってとても嬉しい言葉だった。本当に僕は信じているから。と同時に、吉村は用意していないときにこそ、本領を発揮するフリースタイルの芸人なんだなとも再確認した。

 もし、事前の打ち合わせで僕のフレーズを用意していたら、おそらく「徳井は考察力に優れている」なんてリリックを書いていたと思う。でも、吉村はアドリブの人間だから、刹那の瞬間にこそ異常な力を解き放つ。

 吉村は追い詰められれば、追い詰められるほど強くなっていくサイヤ人みたいなところがある。『週刊さんまとマツコ』のように、さんまさんやマツコさんといった圧倒的な人がいるときにこそ、吉村は戦闘民族としてのポテンシャルを開放する。裏を返せば、自分がMCで、周りは後輩芸人みたいな状況になるとびっくりするくらい普通になる。

 吉村は、背伸びを続けていたら、本当に背が伸びてしまったタイプなのだ。あきらめずに背伸びを続けたら、できもしなかったトークができるようになり、回せなかった現場を回せるようになった。

 というようなことを考えると、僕は吉村の奥さんがどんな人か知らないけれど、吉村よりも圧倒的に強い奥さんだったらいいなぁなんてことを思う。吉村が背伸びをしつづける結婚生活であってほしい。そうすれば、天下と家庭を両立できるような気がするのだ。    

シン・ラジオのスマッシュヒット企画「並んだグランプリ」。皆さんは、並んだ話をしたくありませんか?〈徳井健太の菩薩目線 第245回〉

2025.06.20 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第245回目は、誰かに話したいことについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 生きている以上、人間には“誰かに話したいこと”が、必ずあるのだと思う。

 bayfmで毎週月曜日から金曜日の夕方に放送されているラジオの帯番組『シン・ラジオ -ヒューマニスタは、かく語りき-』。火曜の最終週の「週替わりパートナー」として、僕は登場している。

 先日、「並んだグランプリ」と題して、人生で一番並んだときの話を募集した。火曜パーソナリティ(この番組ではヒューマニスタと呼ぶ)を務める鈴木おさむさんが、大阪・関西万博に行くという。きっと並ぶことになるから、リスナーの皆さんの並んだ経験を教えてほしいということで、募集することになったのだ。

 すると、過去一、メールが届いた。『シン・ラジオ』のリスナー年齢層は、思いのほか高い。この日、寄せられたメールも、僕にはピンと来ないようなイベントに並んだというものが多かった。特に、1985年に茨城県つくば市で開催された国際科学技術博覧会、通称「つくば万博」について寄せられるエピソードが多かった。

 このとき、「ポストカプセル郵便」なるものが大きな話題を呼んだらしい。郵政省(当時)が受け付け、16年後の2001年、21世紀の最初の年に配達を約束する――。このポストに投函するために、長蛇の列が出来上がったそうだ。リスナーからのメールには、「彼女と並んでポストに投函したけど、結局別れてしまった」とか「本当に届くのかワクワクして21世紀を待った」とか、一つ一つのエピソードが、とても人間的で輝いていた。

 休憩中、おさむさんと、「どうしてみんな、並んだエピソードをしたがったんだろう」と話した。最近あった出来事や、最近食べた美味しい食べ物。そういった話題は、さほど返信が多くない。ところが、“並んだ話”は信じられないくらい食いつきが良い。きっと理由があるはずなのだ。

 個人的な見解だけど、並んだ話というのはいろんな感情が絡み合っている。並んでまで食べたかったもの、並んでまで手にしたかったもの、並んでまで見たかったもの。それなのに、「大したことがなかった」とか「想像以上に興奮した」とか。並んでいる間は、天国と地獄の間をウロチョロする。気持ちが高揚したり、沈んだり、さまざまな工程を経て、やがて自分の番が回ってくる。だけど、そのことを誰かに伝えることはあまりない。

 僕自身、このコラムでバンクシー展に並んだことを書いたけど、振り返るとそれは、並んでまで見たかったのに、そのときに起きた一部始終に納得がいかなかった……そんなことを誰かに伝えたかった、いや、吐き出したかったのだと思う。誰かに話せる範囲で吐き出したくて仕方のない話が、人には絶対にある。その最たる例が、“並ぶ”という思い出なのかもしれない。

 この日、おさむさん自身も、並んだエピソードを話していた。中学生のとき、卒業旅行でディズニーランドに行ったという。ビックサンダーマウンテンが誕生して1年ほどだったから、皆がお目当てのマシーンに乗るために、長蛇の列をなしたという。おさむさんたちも、その列に並んで、今か今かと楽しみにしていたそうだ。

 2時間ほど並んで、あと少しというところで、何人かのヤンキーたちが口汚い言葉とともに割り込んできた。我が物顔で、ビックサンダーマウンテンに乗り込んだ。

 そのとき、おさむさんはものすごく嫌な気持ちになったそうだ。ずっと楽しみな気持ちを抱えて2時間も並んでいたのに、バカたちのせいでその気持ちが汚されたのだから、想像に難しくない。おさむさんは、割り込まれたこと以上に、ウキウキしていた気持ちが一転して不愉快な気持ちになってしまったことが許せなかったともらしていた。

「あのとき、せめて何か言えばよかった」

 今でも後悔がよぎるそうだ。並んだ記憶は、どうしてこんなに心の深くに根ざしているんだろう。並ぶなんてばかばかしい。だけど、並ばないと手に入れることのできない記憶があることも確かなのだ。

有象無象が混在したあの頃の新宿、花園神社例大祭にはまだあった!〈徳井健太の菩薩目線 第244回〉

2025.06.10 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第244回目は、花園神社例大祭について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 新宿、花園神社と言えば、11月に行われる酉の市が有名だろう。ただ、昨今は境内摂社に芸能浅間神社があるからか、鳥の市の雰囲気は、なんだかよく分からない“なんちゃって芸能感”をやたらと撒き散らすパリピ的な人が多くて、あまり好きではない。

 花園神社例大祭は、毎年5月28日に最も近い土曜日を中心に、金曜日から月曜日まで4日間開催される。宵宮祭(金曜日18時~)、大祭式 (土曜日11時~)、神輿渡御 (日曜日10時~)、後宴祭 (月曜日18時~)という具合に、大祭と名が付くだけあって、想像以上に大規模なのだ。

 僕たち家族は、大祭式のお昼に行った。ほど良い混雑具合で、祭りに相応しい、活気に溢れているものだった。的屋の種類も多種多様で、令和の大都会新宿で金魚すくいなんかもある。金魚も、なんだか気持ち、ギラついてるように泳いでいると感じるほど、道行く人も金魚もせわしない。ふと視線を右に移すと、くじ引きの景品として、色あせた箱のPlayStationが飾ってあった。

 もちろん、祭りの主役である神輿も登場する。担いでいる人たちの雰囲気は、いま皆さんが想像している通りの人たち。さすが新宿のど真ん中にある花園神社だと、僕は気分が高揚していった。

 かつてこの場所では、「状況劇場」の主宰・唐十郎さんが創始した野外演劇・ 紅テントがあったからだろうか、境内の中だというのに、周辺で飲食店を営んでいるだろうお店が、臨時でテント居酒屋を出店していた。しかも、1軒、2軒じゃない。軒を連ねている。大祭のときにだけ出現する、まるでサーカスのような雰囲気。こんな空間が存在していたことを今も知らなかったことを大いに悔やんだ。そう、新宿に長く暮らしているというのに、僕は初めて大祭に足を運んだのだった。

 僕がもっとも驚いたことが、信じられないほどの喫煙率だ。祭りに関わる人や、出店している人たちのほとんどがタバコを吸いながら作業をしていた。僕は、ここが神社であることを今一度確かめるため、目を凝らして境内をぐるりと見渡してみたが、目に飛び込むのは間違いなく神社の境内であり、それに彩りを灯すように光るタバコの火だった。

 瓶ビールの瓶を受け取ったお姉さんは、くわえタバコで「あぁ、どぃうもゥ」なんてやっている。くわえているからうまくしゃべれない。お互いが聞き取れないだろう会話の応酬を見ていたウチの奥さんは、北九州生まれにもかかわらず、あまりに時代がスリップしている状況に、引いていた。祭りは見ている人を引かせてナンボである。エイサ、ホイサ。

 何か食べようかなぁと思って、臨時居酒屋の前でメニューを眺めていると、「入っていきなよ」とお店の人からすすめられ、僕らはなすがままに店の中に入ることにした。店の中なのか?

 注文を見ていると、会計は後払いだという。こういうときは、だいたいキャッシュオンだと思うので、後払いと聞き、若干の不安がよぎった。でも、我々は祭りの抵触者なのだから、郷に入らなくてはいけない。間違っても、「これ、ぼったくられないか?」などと思ってはいけないのだ。

 僕らは、ビールとメンチカツを頼んだ。メンチカツは(3個)と書いてあったので、家族3人で食べるにはちょうどいい量だと思った。

「ひいよゥ(はいよ)」

 目の前にメンチカツが届き、箸を伸ばし、口に運ぶ。コロッケだった。もう1個食べてみると、それはハムカツだった。メンチカツは1つしかなかった。

 これを詐欺と言うなかれ。祭りである。祭りに日常を求めてはいけない。会計が明朗会計だっただけでも御の字じゃないか。東京のど真ん中にカルチャーショックを体験できる場所がある。なんて素晴らしいことだろう。

 年に1回しか行われない。だけど、確実にそこにある。文化や伝統がどんどん消失していく時代にあって、僕たちの五感を刺激するものが存在する。人を選ぶかもしれない。ただ、僕は来年も行くし、皆さんもぜひ体験してほしい。

タモリさんから鑑みる、記憶力と今後の生き方、若手との接し方の巻!〈徳井健太の菩薩目線 第243回〉

2025.05.30 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第243回目は、記憶力について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 少し前に、いかに人間の脳の衰えるスピードが速いかについて、このコラムで触れた。

 処理能力は18歳がピークで、人の名前を覚える力は22歳をピークに衰えていくという。人の顔を覚える力は32歳、集中力は43歳を境に下り坂になるそうだ。相手の気持ちを読む力は48歳をピークに落ちてくるらしく、50歳くらいになって草野球をしようものなら、初めて対戦する相手の顔や名前、気持ちがよく分からないまま、打ったり投げたりしていることになる。なんだか悲しく聞こえるけど、裏を返せば、自分たちのプレーに集中して……集中できていないかもしれないけど、着の身着のまま熱中できるのだから、それはそれで幸せなことなのかもしれない。

 たしかに、僕も人の名前や顔を覚えづらくなってきているなぁという自覚がある。仕事を続ける限り、人の名前や顔は覚えるに越したことはない。だけど、「アレ、この人会ったことあったかなぁ」とか「顔は分かるんだけど、名前なんだっけかなぁ」みたいなことが少なくない。もし仮に、正解を導き出せなければ、その間違いはそのまま自分に返ってくるわけで、仕事が減ってしまっても文句は言えない。そんな可能性があることも視野に入れながら、いかにして加齢にともなう脳の変化と付き合っていかなければいけないと思うわけです。

 だいぶ昔、僕が『笑っていいとも!』に出演したとき、タモリさんが記憶術について話をしていた。皆さんも、なんとなく分かると思うのですが、タモリさんはめちゃくちゃ記憶力が良い。記憶力に加えて、引き出しの量の多さも尋常ではないので、次から次に教養や知識、雑学が湯水のごとく湧いてくる。

「どうしてそんなに記憶力がいいんですか?」と尋ねると、タモリさんは“連想ゲームのように覚えていく”と教えてくれた。例えば、イカについて覚えるとき、多くの人はイカに関する知識をひたすら覚えようとする。ところが、タモリさんはスミを吐くという構造を理解すると、スミから連想される違うものに関心を移し、それが硯(すずり)であれば、硯についての雑学を覚えるのだそうだ。

 あるいは、トマトとカニといったまったく関係ないものが2つあるときは、トマトとカニを連結させるものは何かを探し出し、その知識を持って、トマトとカニ、どちらもロックするらしい。一例を挙げれば、トマトは宇宙ステーションでの栽培実験に使われることがあって、カニの缶詰や加工品は、長期保存可能なタンパク源として宇宙食の候補に挙がることがある……つまり、トマトとカニは、“宇宙開発と関わりが深い食材”という共通項を持つ。

「カニって、長期保存可能なタンパク源として宇宙食の候補に挙がるんだよな」

 今にも、そんなタモリさんの声が聞こえてきそうじゃないですか。接続できる何かを探すことで、記憶を強化する――タモリさんは、曼荼羅のように覚えているからこそ、面白い一言をよどみなく添えていく。真似できるかどうか分からないけれど、中間にあるもの、接続できるもの、そういったものを探すことで、結果的にAもBも覚えることができるというのは、目からウロコ以外のナニモノでもない。

 人間の脳は早い段階から衰えていく。でも、語彙力だけは60代後半まで伸びるという。と言っても、引き出しがなければ、語彙力は増えない。素材がなければ、料理が作れないのと一緒だ。本を読んだり、映画を見たり、あるいは自分で気になったことを調べてみたり、そういった地道な行動が大切になる。そういう意味でも、タモリさんの覚え方は、“60代後半まで語彙力は伸びる”という根拠を示す一例な気がするし、勇気が湧いてくる。自分次第なのだ。

 知らないってことを自慢しちゃいけない。知らないってことを受け入れることが大事なのであって、「オレはそれ知らないからさぁ」みたいな感じで、ちょっと上から目線で話すなんて、めちゃくちゃ愚かなことだと思う。気を抜いていると、「最近の歌手はよく分からないから、めっきり音楽番組は見なくなった」とか言いそうなものだけど、結局、それは自分の関心が薄くなっているだけなんです。一輪車業界のナンバーワンとナンバーツーを知っていますか? と聞かれたら、ほとんどの人が分からないと思う。僕も分からない。でも、なんだか気になるじゃないですか。どうして気になるのか? それは興味や関心があるから、「知りたい。教えてください」となるわけで、本来、興味や関心に大も小もなくて、あくまで自分の気持ち次第だということ。最近の音楽業界も最近の一輪車業界も、自分次第で関心を抱くことはできるはず。それが、自分の引き出しとなる。知らないってことを自慢することは、関心を持てない自分を自慢しているようなものなのです。

 

カンカンダンスから鑑みる、自分のこれからの生き方と死に際〈徳井健太の菩薩目線 第242回〉

2025.05.20 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第242回目は、成長について、独自の梵鐘を鳴らす――。
楽曲のリズムに乗って、出だしは右手でピストルのポーズ。そして、首を横に振りながら踊る。中国発のダンス「カンカンダンス」が、SNS上で流行っているらしい。

 クリスマスで浮かれている人やハロウィンで仮装している人に対して、若い頃は「さむい」と思っていたけど、子どももいて45歳にもなると、そんな風に考えることの方がさむいと思うようになった。2歳を過ぎた僕の子どもが、YouTubeで“踊ってみた”とか“歌ってみた”とかを見ていると、微笑ましい気持ちになる。YouTubeで表現をしている人たちには、僕らとは違う、その人たちの世界がある。こうして小さい子どもを笑わせているのだからすごいことだなと心から思う。

 あるとき、アイドル5人組がカンカンダンスを踊るYouTube動画を、子どもが見ていた。一生懸命、カメラの前でユニークに踊る姿は、いろいろなことを想像させた。ぼんやり眺めていると、

「一緒に踊ろうよ」

 子どもからそう誘われた。正直な気持ちを言うと、照れ臭くて踊りたくないなと思った。でも、キラキラした目で子どもが誘ってきているのだから、「パパはいいよ」なんて断るのはよくないことだとも思った。

 カンカンダンスは、何人かが縦の列になって踊る。先頭に立つ最初の人が踊ったらその人はいなくなって、2番目の人が踊る。以降、3人目、4人目と続いていく。

 僕らはカーテンを開けて、ガラス窓に自分たちの姿が見えるようにして、縦の列を組んだ。うちの奥さんもとても乗り気になって、一緒にカンカンダンスを盛り上げる準備をし始める。先頭は、奥さん。2番目が子ども。そして3番目が僕だ。
曲が流れると、奥さんはライブステージさながらに全力で踊って、子どもへとバトンタッチ。その様子を見ていた子どもはキャッキャとハイテンションで、見よう見まねのカンカンダンスを踊る。ネクストバッターサークルで待つ僕に、家族が最高のアシストをしてくれる。いよいよ、僕が踊り出す。

 その瞬間、窓に映った僕の顔は、死人みたいな顔をしていた。どこからどう見ても顔に生気がない。体は動いているけど、心が明らかに嫌がっている――。窓に移った自分の顔は、見事なほどそれを証明していた。

 情けなかった。何がイヤって、奥さんも子どもも全力でつないでくれて、何だったら照れ臭そうにしている僕に気を遣うように準備をしてくれたのに、僕は応えるどころか、心が冷めたままだったこと。ウソでも楽しそうに振る舞えない、鬱屈した思春期の気持ちが、40過ぎた自分に全然残っていることに悔しかった。

 何かを察したのか、「もう一回やろう」と子どもが誘ってくれた。だけど、「パパは疲れてるから2人でやろう」と、すかさず奥さんも察する。僕は察し続けられた。いい大人なのに、こんなこともできないのかと、鏡に映る顔は、いっそう険しいものへと変わっていた。部屋に悪魔がいる。追い出さないと。

 人間ってこんなに変わらないものなんだろうか? 誰かが見ているわけでもなく、心を許した家族しかいないというのに、やっぱり人間というのは成長しないものなのか。心と体がどうにもくっつかない。興味のないことには、死ぬまで乗り気になれないのかなぁ。子どものためであればできると思っていたんだけど、できないんだなぁ。ダサすぎるだろ。できないか。まだできない。もうできない。

 ただ、これじゃ終われない。死ぬまでできないと悟ったのであれば……もちろん、できるようになる努力はし続けたいけど、できないのであれば、そういうときにどう振る舞うか。これが大切だ。

 これからカンカンダンスのようなことが、仕事だったり、プライベートだったり、さまざまな瞬間に訪れる。そのときにどう生きるか。僕たちはどう振る舞うか。子どもの気持ちを傷つけず、家族や周りにいる人が幸せなまま、踊らずに済むにはどうしたら。きっと踊らなくても踊る方法はある。

 もっともやっちゃいけないのは、周りの期待を冷めさせてしまうこと。踊らなくても周りを笑わせたり、心地よくさせたりすることはできる、はず。

 きっとこれは僕だけの問題じゃない。カラオケに行ったのに、自分は音痴だから「歌わない」。これでは周りは冷めてしまう。どうやって乗り切るか、その方法は用意しておかないといけない。歌うことを拒んで、周りを消沈させるのではなく、音痴でも成立する歌を選曲する、ものまねをする。何かしら方法はある。

 世の中には、どうしたって自分には合わないことややりたくないこと、苦手なことがたくさんある。そういうとき、どう振る舞うことがマイナスにならないか。僕もみんなも用意しておかなきゃいけない。

天才型は他人にも気を遣え、努力型は他人を慮れない……かもな説〈徳井健太の菩薩目線 第241回〉

2025.05.10 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第241回目は、オンとオフについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 うまく説明することはできないけど、僕は飲食店の個室を利用したりタクシーに乗ったりすることがあまり好きではない。メシを食べるなら、できるだけ個人経営の雑多なお店に入りたいし、移動も電車の方が好き。「なんで自分はそうなんだろう」なんて考えながら、その日も丸ノ内線に乗っていると、ひらめくように僕なりの答えが降ってきた。

 僕は平均点を満たすものや利便性の高いものに興味がそそられない。その理由は、自分の欠点と関係している。例えばタクシー。めちゃくちゃトークスキルのある芸人であれば、そうした空間でも面白いトークをするだけの材料を集められる才能があると思う。でも、残念ながら僕にはそんなアンテナがないから、タクシーに乗って誰かに伝えたい話があるとしても、せいぜい愚痴の類になってしまう。これではなかなか「笑い」につながらない。

 限られた情報しかない環境を苦手とする僕は、気が付くと雑多でいろんなものがごちゃまぜになっているようなワケのわからない空間や場所を好むようになっていた。ここなら有能なアンテナがなくても、何かしら変なものを拾うことができる。鋭い視点を持ち、なおかつワードセンスに長けた芸人であれば、1を見て1を語ることができるだろうけど、僕は10を見て、1を語れるかどうか。タクシーに10回乗って、ようやく面白い話を1つ生み出せるかどうかの人間だから、情報量が交通渋滞を起こしているくらいの場所じゃないと安心できない。だから利便性が高く、スマートな場所が苦手――そんなことを丸ノ内線に乗りながら考えていた。

 僕は、昔から乗り換えが大好きだった。

 違う路線に乗り換えた瞬間、それまでとは明らかに違う人種が車内を占有している。どうして突然20代前半の若者が増えたのだろうと思っていると、「△△大学駅前」といった駅に停車し、合点がいく。僕が分析好きなのも、こうしたところによるところが大きく、詮索しがいのある空間やお店を好むのも、AとBとCの情報を勝手に集めて、「〇〇だからだ」なんて推論したいからだと思う。結果、少ない情報量から質の高い言説をアウトプットすることが苦手になってしまったのかもしれない。

 ここからは僕の極論を披露したい。

 人間は、この2つのタイプに大きく分けられるのではないか。個室やタクシーといった利便性が高く、機能的な空間が好きな人と、情報まみれとも言える闇鍋のような非利便的な空間が好きな人。そして、それは裏を返せば、前者は周囲に対して気を遣ってしまう人であり、後者はあまり周りを気にせずマイペースな人じゃないのかなって。どうして、個室やタクシーが好きな人が周囲に対して気を遣う人なのか? 

 仮に、気を遣うタイプが居酒屋で飲んでいたとする。そのお店は雑多で個室はない。常連もたくさんいるから、ある瞬間を境に話しかけてきたりする。そうしたとき、そのタイプは周りと波長を合わせようとする。一方、僕のような後者のタイプはいつもの調子と変わらないから、話しかけられてもマイペースにお酒を飲むだけ(話に付き合うかどうかも分からない)。

 気を遣う人は、マイペースにお酒を飲んでいる僕に対しても、「もっと愛想良くしたほうがいいんじゃない」と気を遣うだろうし、話しかけてきた酔客に対しても気を遣うから二重に気を遣うことになる。頭のリソースを多分に使うことになるから、できればそうした空間は避けたいと思うようになっても不思議ではない。

「オンとオフの切り替え」なんて言葉がある。実はこれって、周囲に対して気を遣ってしまう(オン)とタクシーなどのプラベートスペースが約束されている空間を好む(オフ)ってことなんじゃないだろうか。オンとオフがないって人は、僕のように雑多な空間に苦手意識がなく、気を遣わない人。こう考えると、僕が急にかしこまった空間のように感じるタクシーが苦手な理由も分かる。強制的にオフ世界に閉じ込められて、何をしていいか分からないのだ。

“感覚情報のゲーティング”と呼ばれる、情報の取捨選択を自動的に見分けてフィルタリングする脳の働きがあるらしい。雑音が多い場所では、それだけ多くの情報を脳が処理していると言われ、このとき必要か必要じゃないかを脳が選別するという。数多く意識に入ってくるということは、それだけ多くの情報を脳が処理しているから、人によってはめちゃくちゃ疲れてしまう。これがストレスになるかならないか……が、オンとオフの正体なのではないか。オフを求める人は、タクシーだったり、個室だったり、自分の精神衛生を考慮して、定期的にそういう場所を求めているのではないのかなって。求めていない僕は、無理やりオフ的な環境を作られるほうが、ストレスになるのだろう。

 利便的な空間が好きな人って、実は誰よりも気遣いの人なのかもしれない。あくまで極論。これも、僕なりの雑多な環境から拾い集めてきた推論。軽い気持ちで受け止めてやってください。

山田洋次監督作品から生と死、青春や人生を考える回〈徳井健太の菩薩目線 第240回〉

2025.04.30 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第240回目は、「今」の確認方法について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 御年93歳だというのに、山田洋次監督が作・脚本を務める『わが家は楽し』というドラマが放映されていた。そのバイタリティーに対して、いろいろ突っ込んで聞いてみたいところがあるけど、今なお現役で、その時代時代の家族のあり方を描く作品を作り続けている山田洋次監督に、ただただ感嘆してしまう。

『わが家は楽し』は、熟年離婚を含めリタイヤ後の人生を描いたドラマなのだが、93歳という高齢である山田洋次監督の目に、60歳を過ぎたリタイヤ後の家族がどんな風に見えているのか、めちゃくちゃ気になってしまった。

 というのも、青春を描く映画やドラマがあるとして、青春真っ只中の人間が作ったら、それは面白くなるんだろうかって思うんです。

 30歳くらいを過ぎて、あの頃は若かったなぁなんて振り返って、「あのときの初恋の人って永遠の人だと思ったけど違ったんだな」というのが分かりつつ、それでも永遠がいいなって姿を描くから胸にストンと落ちる。ある程度過ぎ去らないと、そのときの瞬間をうまく説明することなんてできないと思うのだ。

 例えば、僕らが20代の若手芸人だった頃。売れなくて、それでもお笑いしかないってがむしゃらにもがいていた姿を、同じ時代に生きる20代の人が切り取っても、おそらくキラキラした側面とドロドロした側面、分かりやすすぎる描き方にしかならないような気がしてしまう。対して、40を過ぎたくらいの人が切り取ったなら、水も甘いも噛み分けて、 主観的にも客観的にもお笑い青春ド真ん中を描くことができるような気がする。

 20代の頃に、芸人をやめていく人間のことなんて考えたことがない。考えたとしても、諦めてレースから脱落した人――くらいにしか思わない。だけど、30代、40代になると、やめていった人たちのことを想像できるようになる。これからまだどんな道を歩むかわからない、その道を真っ只中で歩いている人が、その瞬間を切り出すことは果てしなく難しいことではないのかなって。切り出す暇があるのなら、駆け抜けてほしいとも思う。

 そんなことを考えると、熟年離婚だったり、自分が死ぬかもしれないといったことを考える50代60代には、そうした出来事をその只中で切り取って、描くことは難しい。描くことができないというか、説明できないんじゃないか。つまり、93歳である山田洋次監督だからこそ、すでに通り過ぎた50代、60代、70代に起こるだろう人間ドラマを描くことができるんだろうなって思ってしまったのだ。

 僕らが60歳くらいに体験するであろうことをきちんと説明するには、僕らは80歳くらいまで生きなければいけない。僕はいま40代だけど、40代だからこそ20代や30代に説明することができる。だから、歳を取っても映画を撮り続けることや、文章を書き続けることには、ものすごく大きな意味があるのだと思う。

 ともすれば、自分が死ぬという時期が来たとき。それは余命を宣告されたときなのか、あるいは体力的な衰えを感じたときなのか、いろいろな理由があるとは思うけど、一つだけ言えるのは自分が死ぬかもしれないという段階の話は、誰にも描くことができないのかもしれない――ということ。だって、それを俯瞰して確かめるには、死後20年経たなければ分かりえない。閻魔様のお膝元で、ようやく書けるか書けないか。それさえも、「いやいや本当は違ったんだよなぁ。俺はそのときそう書いてるけど、実はそんな風には今は思ってないんだよ」なんて、あの世から感じる可能性だってある。死んでいった人たちみんなに、そうした思い違いがあると思うと、天国と地獄からの添削をぜひ覗いてみたい。

 今のことを伝えるには、経験を20年くらい前借りするくらいの気持ちがないといけないんだろうな。できるだけたくさんの体験をして、生きている証を積み立てていくしかない。結局、今この瞬間を精一杯生きるかどうか。それしか今を確認する方法はないのではないでしょうか。

クリアソン新宿のおかげで、家族とお酒とご飯の関係性を見直せたお話〈徳井健太の菩薩目線 第239回〉

2025.04.20 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第239回目は、飲まずにメシを食べる幸せについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

 第211回「僕は新宿が好きです。だから、クリアソン新宿を応援します! にわかです。でも、家族ぐるみで応援します!」で触れたように、JFLに所属するサッカークラブ、クリアソン新宿を欠かさずチェックしています。

 可能な限り、試合をYouTubeでチェックし、スケジュールが合えば家族で観戦しに行くことも続けている。やっぱり勝つと嬉しいし、こっちまで景気が良くなる気がする。推しチームがあるって、自分の日常に彩りを与えるものだと、つくづく感じている次第です。

 一方で、 小さい子どもを連れて電車を乗り継ぎ、試合会場まで行く。夏の暑い日や冬の寒い日ともなれば、家族の士気はどんどん下がる。とは言え、好きなチームを応援しながら、青空の下でビールを飲みたい。そんな気持ちから電車で移動していたけれど、人生というのはそんなにうまくいかないものです。

 試合に勝てば、まだ笑える。でも、負けるとなると、己の欲望は自分自身にすべてひっくり返ってくる。奥さんはクタクタになりながら電車に乗って、子どもも泣き出してしまう。ビールを飲みたいという欲が、こんな不幸な事態をもたらすことを理解した僕は、もう二度とこんなことをしてはいけないと悟った。その日を境に、今後は試合観戦に行くときはカーシェアを利用しようと決めた。少しでも快適な空間を作ることが、家族のためにも自分のためにもなると誓ったのだ。

 つい先日も車を借りて、調布にほど近いサッカー競技場まで試合を観に行ったのですが、府中にある美味しそうな焼肉店を見つけ、ご飯を食べることに。車があると周辺まで足を延ばしやすくなる。車のメリットがさっそく生きた証左です。

 反面、デメリットがないわけではない。そう。焼肉を食べるというのに、ビールをはじめとしたアルコール類が飲めません。「きっとビールの方がおいしいんだろうな」なんて食べる前は思っていた。ところが、実際にウーロン茶を飲みながら焼肉を食べると、何の不自由もないし、とても楽しい時間を過ごすことができた……肉が美味いんだから、ビールである必要などなかったのだ!

 お酒を飲めるようになってから、夜に外食をするときはお酒を一緒に飲まないと「気持ちが悪い」と思っていた。でも、“焼肉でお酒を飲まない”という初体験をしたことで、自分で勝手に決めつけていた思い込み、妄想のたぐいだったんだと視界が開けた気分だった。

 言われてみれば――。酔っぱらってしまうと、最終的にどんな味だったかを思い出すことができない経験は一度や二度じゃない。それなりに高い寿司屋さんへ行っても、ビールだ、日本酒だと楽しく飲み続けた結果、終盤に食べた寿司のネタの味なんてまるで覚えていない。それどころか翌日に、「俺って最後の方、何を食べていたっけ?」なんて味どころかネタすらも忘れている始末。せっかくうまい料理を食べたはずなのに覚えていないって、俺は一体何をしに行ったんでしょうか? これって、食べ物を残すこととと同じくらい“もったいない”ことをしているんじゃないのか……。

 僕はようやくこの歳になって気が付いた。

 ご飯を食べることと、お酒を飲むことは分けたほうがいいのかもしれない。お酒は好きだから、今のところ断酒する気はない。だけど、お酒を飲みながらご飯を食べると、僕の場合はついついお酒を頼みすぎてしまうから、ご飯の味はおぼろげになるし、コストもかかってしまう。かといって、お酒を控えて居酒屋を楽しむような飲み屋に対して失礼な態度も取りたくない。

 だったら、きちんとご飯を食べられるところでご飯を楽しみ、その後、場所を変えるなりしてお酒を楽しめばいい。そんなプランもアリなのではないかということを、クリアソン新宿のサッカー遠征で学んだのだ。今までとは違う行動をするようになると、今までにはない発見がある。当たり前だよね。自分で何かを変えることは難しいけど、環境によって何かが変わることは、想像している以上に簡単です。同じことばかりしているのは、もったいないことなのです。

東京NSC血と肉の歴史、続ける阿呆と辞める阿呆、さらば渋谷無限大。【徳井健太の菩薩目線 第238回】

2025.04.10 Vol.web original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第238回目は、東京NSC30周年について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 東京NSC一期生である品川庄司さんが、入学したのが1995年。今年2025年は、東京NSCが誕生して30周年という節目の年になるという。

 相方の吉村は、勝手に東京を背負うのが趣味みたいなところがある。あいつは、何かとアニバーサリーなことが好きな男でもある。そんな吉村が、先日、『吉村崇の勝手にシリーズ ~祝!東京NSC30周年「決起集会」』なるイベントをオールナイト二夜にわたってお送りしたのは、まぁ、そんなに不思議なことではなかったのかもしれない。

 僕は何をするのか分からなかったけど、さかのぼること昨年の12月、番組収録の合間に、「俺、結婚するから。あと、東京NSC30周年のイベントをやるから空けといて」と告げられていた。時間にして、3秒ほどの伝言。だけど、25年も一緒にいるので、なんとなくその意味は理解した。

 その後、渋谷のヨシモト∞ホールが2025年3月末をもって閉館になることが報じられたが、あくまでこのイベントは30周年を祝いたい吉村の思惑ありきなので、「ヨシモト∞ホールを総括」というのは後付けということになる。

 当日は、東京NSC1期生から現在の若手芸人にいたるまで膨大な数の芸人が登場するとあって、ヨシモト∞ホールを「令和ステージ」、ヨシモト∞ドーム(今年5月末で閉鎖予定)のステージⅠを「平成ステージ」、ステージⅡを「昭和ステージ」と題して、3会場同時並行で行われるというものだった。

 吉村は綿密な打ち合わせをしていたので、3ステージのタイムテーブルを把握していただろうけど、僕は自分の持ち場である「令和ステージ」以外の2ステージで何が行われているのか、よく分からなかった。ただ、30周年という大きな月日を振り返るということもあって、体を張る企画や、深夜ならではの企画が、他のステージでも行われていることは想像に難しくなかった。

 良くも悪くもくだらなくて懐かしい夜だった。第一夜が終わって、「バカばっかりだなぁ」なんて思い出し笑いをしながら喫煙所に入ると、東京NSC10期生のかたつむりの岡部と、少し雑談をした。

 岡部は、現在、“ピーチ”という芸名で活動し、東京8期生のパンサー尾形率いる「尾形軍団」の一員として、ちょくちょくテレビにも出ている。『水曜日のダウンタウン』で、「ドッキリの仕掛け人 モニタリング中ターゲットのエグい秘密知っちゃっても一旦は見て見ぬフリをする説」の逆ドッキリを尾形に仕掛け、嫁の下着を抜き取ったのが岡部だった。

 かたつむりは、2005年に中澤と林がコンビとして結成し、僕たち平成ノブシコブシも出演していた『コンバット』というコント番組に、結成わずか2年で出演を果たす実力のあるコンビだった。その後、紆余曲折を経て、2017年に岡部が加入し、トリオとして活動を開始する。我々は25年戦士、かたつむりも20年戦士ということになる。

 この日、かたつむりと岡部は、 ヨシモト∞ドームに登場していたから、僕とは直接顔を合わせていなかった。「どうだった?」なんて会話を交わしつつたばこをふかしていると、東京吉本芸人の父として慕われる作家の山田ナビスコさんが入ってきた。

「岡部、お前逃げたな」

 開口一番、そう岡部に言い放つと、怒涛の説教が始まった。僕を含め、複数の芸人がいるというのにお構いなしだ。

 耳を傾けたくなくても、いやおうなしに鼓膜に響いてくる。どうやら、ヨシモト∞ドームのステージでは体当たり系の企画が行われていたらしく、岡部が体を張るタイミングが訪れた――にもかかわらず、そこから逃げて、他の芸人が犠牲になったらしい。そのことに対して、山田さんはブチ切れているようだった。信じられないテンションで説教している山田さんの姿を見て、「30年経ってもNSCってNSCのままなんだな」と僕は軽い感動を覚えた。

「そんなことないですよ。何言ってるんですか」と弁解する岡部の姿も、僕が若手だった頃の光景と何一つ変わっていなくて、きっとこうした徒弟的なやり取りは、何百年も前からあったんだろうなと想像を掻き立てた。

 岡部の芸歴は20年を数える。「売れている」「売れていない」という明確な線引きはあるかもしれない。だけど、一つのことを20年も続けていれば、それはもうベテランの領域にいるし、それなりの腕がなければ廃業しているはずだろう。そんなキャリアのある人間が、目の前でブチ切れられている光景を見て、僕はお笑いの世界の幸せを感じていた。時間が止まるってこういうことをいうんだろうな。

 僕らはこんな熱量で説教されることはもうなくて、せいぜい陰口を叩かれるくらいだ。言いたいことがある人だっていると思うけど、面と向かって言うと角が立つから言われない。だから、真っ正面から説教されているというのは、ある意味では“まとも”なんだと思う。

 山田さんが去ると、岡部は

「また怒られちゃいましたよ」

 とポツリとこぼした。春です。新入生よ、恐れるなかれ。酸いも甘いも嚙み分けて、新しいステップを楽しもう。

どこまで我慢し、つっこまないかを、僕は『ごきげんよう』から教わった【徳井健太の菩薩目線 第237回】

2025.03.31 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第237回目は、会話について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 自分の若いときの会話をいま聞けるとしたら、おそらくとんでもなく恥ずかしいと思う。

 若い頃は、なんでもかんでもとにかく早い。例えば、何かにつっこむにしても、「違うだろ!」とか「なんでだよ!」とか、待てずにつっこんでいた。きっと、あの頃の僕らのトークを見ていたプロデューサーやディレクターは、「ガキのやりとりをしているなぁ」なんて思っただろうな。一言で言えば、余裕がないのだ。

 昔、『ライオンのごきげんよう』に出演したとき、演出の方から「小堺さんにはつっこんじゃダメだよ。ノッてほしい」とアドバイスを受けた。ボケてつっこんで盛り上げるというのは関西ではいいかもしれないけど、東京ではそうではないからって。ようやくテレビに出始めることができた、まだテレビの毛も生えていない29歳くらいだった僕らにとって、その言葉は一個成長させてくれる金言だった。

 それまでの僕らは、まるで早押し合戦のように突っ込んでいた。技術やフレーズ以上に、とにかく誰よりも先に突っ込むことが正しいお笑いのカタチだと思っていた。でも、その言葉に触れ、あらためて考えてみると、たけしさんもタモリさんもさんまさんも前のめりでつっこんでいない。乗ったり、耳を傾けたりした後につっこむ。途中でつっこむなんて野暮なことはしていなかった。

 今で言えば、陣内さんが本当にその腕に長けている人だと思う。陣内さんを見るたびに、「さすがだなぁ」なんてあこがれを抱きながら感心してしまう。言葉としては矛盾しているかもしれないけれど、“最速の待ち”ができる人。格闘技の世界には「後の先(ごのせん)」という言葉があるけれど、それができる芸人はかっこいい。

 会話は、一見するとボケとツッコミさえあれば盛り上がる気がする。でも、結局のところ、「この曲で踊れますか?」に尽きると思う。相手がワルツを踊ればワルツを、相手がジルバを踊ればジルバを――。その曲にノれるかどうかが大切なのであって、「ワルツかよ!」なんてつっこもうものなら、場は冷めてしまう。もちろん、ときには早い段階でつっこむことも必要だけど、僕らが若い頃に教わったことは、「Shall We Dance?」ってことだった。

 だけど、芸人であれば、一度は必ず早押しツッコミ合戦の症状に陥ってしまう。

 僕はもともと話を聞くのが好きだから、つっこむべきところでつっこまないことがある。そのため同業者からは、「スカしている」と受け取られることも珍しくない。そんなつもりはないけれど、話している方が、「ここは一旦つっこむでしょ」と思っているところでも、「へーそうなんだ。なるほどね」なんて言うもんだから調子が狂うらしい。

 自分がある程度歳を取ってきたからかもしれないけど、会話において「急ぐ」ということはもうほとんどなくなった。だからこそ、改めてタモリさんの凄さに気が付く。

 例えば、「新婚旅行でチリに行きたいんですよ」なんて話しかけたとする。芸人であれば、大きな声で、「なんでチリ!?」「あの細長い国!?」とつっこみそうだけど、おそらくタモリさんは一回それを受け入れて、「チリいいよな。チリ産のワインが美味いんだよ」と、何だったら一つ情報を添えてこちらにリターンしてくれそうだ。こういう会話って簡単なようで簡単じゃない。

 強くつっこんでしまうと、相手の気持ちを折ってしまう可能性がある。僕らは芸人だからそれに慣れているけど、普通の社会で強くて早いつっこみをすると、相手にケガをさせてしまうことだってある。でも、一度受け入れて、トスをあげるように返せば、話す側の選択肢は増える。ダンスの上級者は、初心者を気持ちよく踊らすことができるらしい。まさに、である。

 会話がうまくできないと思っている人は、うまくキャッチボールをしようとするから疲れてしまうんだと思う。リズムについていくだけで充分だよ。無理してつっこんだりするのは、むしろ野暮だって映るときもあるんだから。  

 

われポン終わりの朝方タクシーの中、僕は自分の情けなさに涙した〈徳井健太の菩薩目線 第235回〉

2025.03.20 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第236回目は、THEわれめDEポンでの敗戦について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 麻雀は得意な方だと思っている。

 若い頃から打っているし、それなりの時間も費やしてきたから、自信だってある。久しぶりに臨んだ「芸能界麻雀最強位決定戦~THEわれめDEポン 生スペシャル」(1月31日放送)。腕が鳴った。

 その日はなかなか調子が良かった。対局相手は、中野浩一さん、見栄晴さん、水崎綾女さん。ドラ東待ち七対子で裏ドラを東で跳満し、逆転で2度目のTOPを獲得したとき、僕は「イケる」と思った。だけど、その後は面白いくらい中野浩一さんに負けていった。

 あまり良いことでは無いけれど、麻雀で負けることには慣れている。いつもならそんなに悔しさは覚えない。なんなんだろう。その日は帰路につくタクシーの中で涙が出そうになった。情けないくらい、レインボーブリッジがぼやけていた。

 対極の最中、僕はなぜ自分が負け続けているのか悔しいくらい分かっていた。僕には、勝つ覚悟がなかったのだ。

 以前、このコラムでも触れたように、僕は他者から見ればトリッキーな打ち方をする。弱い役でもガシガシあがっていく。今でこそ、こうした雀風は一般的ではあるけれど、流行る前から好んで打っていた僕は、古風な雀風を好む人からは好かれなかった。それなのにどうしてそんな打ち方を? 勝つことが重要だからだ。僕にとっては、それこそが自分にとっての活路だと思っていた。

 勝ちたいから、僕はそれを続けていた。ただ、この戦法は守備が手薄になってしまうという側面もある。麻雀をやったことがない人にはピンと来ないかもしれないけど、分わかりやすく言うならば、そういうことになる。それを差し引いても、若い時代の自分にとっては、有効な手段だと思えた。

 僕はもう44歳になる。しっかりと歳を重ねてきた。今、この戦い方を見つめてみると、守備が手薄になることで怖さを感じてしまう自分がいることに気が付いた。“勝つ覚悟”よりも、“負けるかもしれないという恐怖”が上回っていた。このやり方では、1局、2局を勝つことができても、その日一日の対局を「勝ち切る」世界線とは程遠い世界にいるのではないか――そんなことを打ちながら感じていた。

 収録中だというのに、僕は人生で勝ち切ることにこだわったことがあったのだろうかと逡巡した。番組を見てくださった方は、「徳井、負けが込んできて困った顔をしているな」と思われたかもしれない。だけど、徳井は自分の人生について真剣に考えていた顔をしていたのです。もっと深刻だったのです。

 M-1やキング・オブ・コントで分かりやすい結果を残したわけでもない。一局、一局に自分なりに手ごたえを感じることはあっても、その日一日をトータルで大勝ちしたという感覚は乏しい。それはまさに自分の雀風と似ていて、大局の中において、ところどころ空気を読んでセーブして、負けない計算をしているクセの裏返し。対照的に、相方の吉村はまるでそんなことは考える素振りも見せず、身ぐるみ剥がされても勝ち切るという意識が凄まじい。

 雀卓で向かい合っていたのは、世界選手権個人スプリント10連覇を成し遂げたあの中野浩一だ。勝負の世界のトップ・オブ・トップ。きっと僕が途中で弱腰になった瞬間を即座に見抜いて、圧倒的なスピードで追い抜いていったんだろう。

 そりゃ「負けない」を軸に考えている人間は太刀打ちできない。相手は死んでもいいと思っている。街中をフルチンで歩いていたとしても、「勝ってやる」って覚悟で風を切って歩いている人は、モーゼのように海が割れる。世の中で1位というものを獲得した人たちは、きっと勝ち切ることにこだわってきた人たちだし、そのために何を準備するべきかを考えに考え抜いてきた人たちだ。抜かれたら最後。見つめる牌は次第におぼろげになり、もはやその時点で勝負はついたのだとため息を吐いた。

 収録後も魂は抜けたままで、それを取り戻そうと必死に車窓から流れる夜景を眺めていた。どうすれば勝ち切れるのか。情けない。麻雀から学ぶことは尽きない。

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