長島昭久のリアリズム 国家と安全保障を考える(番外編:立憲主義再考その一)

 今年の憲法記念日を迎え、相変わらず、野党内にも、世間にも、憲法学者の間にも、集団的自衛権の限定的行使を容認した一昨年の閣議決定や、昨年9月に成立し今年3月に施行された安保関連法制に対し「戦争法だ」「憲法違反だ」「立憲主義の蹂躙だ」という声が鳴り止みません。そこで改めて、政府が閣議決定して修正した憲法解釈の憲法適合性について、私自身の考え方を整理しておきたいと思います。


 まず、集団的自衛権の本質は「他衛」です。実際、過去に集団的自衛権が行使された事例を振り返っても、自国の存立が直接脅かされるというよりも、密接な関係を持つ同盟国などに向けられた武力攻撃に対しその国を守る、あるいはその国に加勢すること(すなわち、他衛)を通じて自国の安全や生存を図ろうとするケースが殆どでした。したがって、従来の政府の定義も「他衛」としての集団的自衛権であり、そのような自衛権の行使は我が国に対する直接の攻撃を排除する必要最小限を超えるものとなり憲法上認められないと結論付けたのです。そもそも政府は、憲法13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする」との規定に根拠をおいて自衛権の行使を合憲と解してきましたので、現行憲法の解釈としてそのような「他衛」権を容認できるはずがありません。


 ちなみに、「他衛」概念の集団的自衛権は、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」(昭和56年5月29日の政府答弁書)と定義されてきました。しかし、この定義からは、想定されている武力攻撃が我が国に対し直接向けられたものでないことは明らかであるものの、その攻撃により我が国の国民の生命、自由、幸福追求の権利がどのような影響を受けるかについては定かとなっていません。つまり、「自衛権の行使」といっても、自国に直接向けられた武力攻撃に対し反撃するしか選択肢が残されていないような差し迫ったケースというより、能動的に(自国と密接な関係にある)外国にまで出かけて行って、そこへ加えられている攻撃を実力で阻止するような態様を想定しており、受動的な自衛というより「他衛」というべき概念です。


 ところが、今回、国際情勢の変化や軍事技術の進歩に鑑み「自衛」の視点(我が国に対する脅威の近接性、切迫性、および武力攻撃波及の蓋然性等)から改めて集団的自衛権をめぐる政府解釈の基本的論理を見直したのです。したがって、今回の閣議決定や安保法制を直ちに違憲、立憲主義の蹂躙などと断定するのは早計です。次回は、その根拠について明らかにしたいと思います。(衆議院議員 長島昭久)