インタビューシリーズ【LDH バトン ~夢~】 Vol.1 EXILE AKIRA(EXILE/EXILE THE SECOND)

 EXILE、三代目J Soul Brothers、E-Girlsなどが所属するLDH JAPANは、音楽やダンスだけでなく、映画やお芝居、アパレルや飲食など、さまざまなプロジェクトを展開して「Love, Dream, Happiness」のメッセージを届けます。【LDH バトン】では、LDH JAPANに所属するアーティストやタレント、アスリートたちに、Dream(夢)について聞いていきます。

 トップバッターはEXILE、EXILE THE SECONDのパフォーマーや、役者としても活躍されるEXILE AKIRAさん。 記念すべき初回につき、スペシャルバージョンです。
――子供のころはどんな夢を持っていましたか?

ずっとサッカー選手を目指していました。僕の故郷である静岡はサッカー王国と呼ばれるくらい、サッカーをやってる子が多くて。僕も小中高の9年間、ずっとサッカーに熱中していました。

プロ入りも目指していましたし、本当に毎日練習に明け暮れていましたね。とくに高校時代は、全国高校サッカー選手権大会の出場を夢見て、寝る間も惜しんで練習していました。しかし残念ながら、最後の全国大会の出場も、プロ選手になる夢もかないませんでした。ただ未練はあまり感じませんでしたね。それくらい努力仕切ったというか、吹っ切れたというか。悔しい思いもありましたが、すぐに新しい夢を見つけることができました。

――その新しい夢がダンス?

当時は今ほどダンサーの数も多くなかったんですが、偶然ひとりだけストリートダンスをやっている友人がいたんですね。その子との交流をきっかけにダンスや音楽の楽しさに気づけました。ちょうど15歳とか16歳のときかな。だからサッカーをやりながら、趣味のひとつとしてダンスをやってみたり、ヒップホップやR&Bを聴いたりしていた時期があったんですね。

で、サッカー部を卒業した直後の進路相談で先生に「進路はどうするんだ?」と聞かれたとき、唐突に「ダンサーになります」って言葉が出たんです。いきなりのことで先生もポカンとしていましたね(笑)。さらには校長先生まで出てきて。先生たちは、3年間サッカーに一生懸命だった僕を大学に推薦したかったみたいです。だから、最初は「もっと真剣に進路を決めろ」という様子でしたが、あまりにも僕の意思が強かったので、最後は納得して送り出してくれました。

「ダンスで一番になってやる。一番カッコいいダンサーになってやる!」

高校を卒業してからは、漠然とではありますが「ダンスでいちばんになってやる。いちばん格好いいダンサーになってやる!」と夢見ていました。振り返ってみると、若くて生意気だったなと思うんですけど、その何の迷いのないがむしゃらさがモチベーションや勢いに繋がったと思います。

その頃の自分は海外の最先端の音楽や、HIP HOPダンスのスタイルを取り入れて、地元のクラブでパフォーマンスしていました。静岡はクラブもないから、ホテルの会場を貸し切って、自分たちでセットを作ったり、集客したりしなければいけません。大変でしたが、それでもダンスをやることがすごく楽しかったですね。

――「一番」になるために具体的にどんなことをしていたんでしょうか?

静岡で活動していると、やっぱり東京の“すごいダンサー”の情報が入るわけです。今ならYouTubeにアップされるんだろうけど、当時は実力のあるダンサーの映像がダビングされたビデオを通じて、僕の住む街にも巡ってきました。そのビデオに映っていたダンサーが、EXILEを結成する前のHIROさんやÜSAさん、MATSUさん、MAKIDAIさんだったわけです。

ビデオで写るHIROさんたちのパフォーマンスに目が釘付けになりました。何度も何度も見直して、自分のものにしようと練習していましたね。当時はスタジオを借りるお金もなかったから、ビデオを観た後に街の大きな鏡がある場所とかで練習していました。そういえば、家で母親の姿見を借りて練習したこともありましたね(笑)。

――いわゆる修業時代が終わるのはいつごろだったでしょうか?

修業は今も続いています。ただダンサー人生の転機になったのは、21歳の上京した時です。渋谷のクラブでMAKIDAIさんやÜSAさん、MATSUさんが、偶然僕のダンスを見て、気に入ってくれました。そこからラップグループ「RATHER UNIQUE(EXILE ÜSAやEXILE MAKIDAIが所属していたラップグループ。AKIRAは、パフォーマーとして参加)」を結成する運びになるわけですが、まだデビューするまでに時間があったんですね。

そのタイミングで「EXPG」というダンス学校の立ち上げスタッフをHIROさんに任されて。3年間、RATHER UNIQUEとしての活動と、EXPGの仕事を同時にやっていたのが、ちょうどEXILEに入る前のできごとです。その時がいちばんの修業時代だったかな。

――「日本でいちばんのダンサーになるという夢」ですが、今はそのゴールまで、どれくらい近づけたと思いますか?

まだまだです。10代から20代前半の時は、HIROさんや他のEXILEの諸先輩方の志と存在に打ちのめされました。出会った時は、もう衝撃的でしたよね。自分はダンスの世界でナンバーワンになろうと努力しても、日本トップクラスのダンサーたちと知り合うことで、夢がどんどん遠ざかっていくような気持ちでした。仲良くさせていただきましたが、一方で自分の実力不足と存在の小ささを痛感せざるを得ませんでした。

だから、とにかく寝る間も惜しんで練習やいろんな挑戦をしましたね。先輩たちが音楽番組や大きなライブに出演すると同時に、お客さんが50名くらしか入らないクラブでもパフォーマンスを続けていました。その積み重ねによって、今のEXILE AKIRAというスタイルが確立されていったんじゃないかと思います。また、それがTETSUYAやケンチ、啓司との出会いにもつながったわけです。


これからのEXILEは、「全員がリーダーとしてあるべき」

――AKIRAさんの現在の夢はなんですか?

EXILEの創世記を作り上げた諸先輩方が勇退されました。だから、次は僕らが中心となって新しいエンターテイメンを築かなければいけません。

2018年、まずはATSUSHIくんと僕が中心になって、EXILEをもっともっと盛り上げないといけない。同時に、これからのEXILEは、「全員がリーダーとしてあるべき」という気持ちもあります。EXILE TRIBEのそれぞれのグループのメンバーみんながそんな気概を持って活躍してほしい。そうやって世代を超えて連携して、諸先輩たちが作り上げたものをちゃんと継承しつつ、発展させていきたいですね。

個人としては、EXILEに入ってからの10年間はすっごく貴重なものでした。そこで何を得たかというと、やっぱり「表現力」。HIROさんやLDHスタッフのおかげで、ダンスや音楽だけじゃなく芝居の世界にまで可能性を広げることができました。普通の俳優さんと違って、僕らはEXILEでしか得られない経験やバックボーンがあります。それが自然とスクリーンから滲み出るような役者でありたい。

そして最終的には、日本を代表するとまで言ったらおこがましいんですけども、日本でオンリーワンのスタイルの役者になりたい。そのために役者の世界でも生涯を通して挑戦し続けるつもりです。

――最後に「夢をかなえる」ために大事なことはなんですか?

「自己プロデュース力」ですね。そのスタイルはダンスを始めたときから変わっていません。特にエンターテイメントの世界だと、自分を輝かすのって他の誰でもなく自分じゃないですか。人から言われたことをただやるのではなく、自分が何を表現したいのか、何を伝えていきたいのか、どういう俳優や表現者になりたいのか、俳優や表現者として何を伝え、残していきたいのかを常日頃意識して動かなければいけません。パフォーマーの時も役者の時も、自分を俯瞰して、何がかっこいいのか、どこがストロングポイントなのかを自問自答して、足りないところや磨くべきところを探すように意識しています。

もちろん時には、アプローチの仕方が間違っている場合もあります。でも、それに気づくことで、また次にどう行動するべきか道しるべが見つかる。

まわりはあくまでも自分を支えてくれる存在。自分の能力を高めるのは、やっぱり自分自身です。意識的に自己プロデュースをするかしないかで、だいぶ成長のスピードが違うんじゃないかな。そうやって自分の目指したいものや、自分が伝えたいものを追求していくと自然と夢に近づけるんじゃないかと僕は思います。

【PROFILE】AKIRA(アキラ)……EXILEの中心核としての活動に加え、数々の映画、ドラマ、舞台、声優などさまざまな分野で活躍。2009年の映画『ちゃんと伝える』では日本映画批評家大賞新人賞を受賞。10年中国公開のアンドリュー・ラウ監督作品『レジェンド・オブ・フィスト 怒りの鉄拳』にてアジア映画デビュー。17年にはマーティン・スコセッシ監督のハリウッド作品『沈黙‐サイレンス‐』に出演、’18年春公開の三船敏郎の生涯を描いたドキュメンタリー映画『MIFUNE:THE LAST SAMURAI』日本版ではナレーターを務める。またアジア人初となる「ラルフローレン」のアンバサダーに就任し、世界に活躍の場を広げている。

※インタビューシリーズ【LDH バトン ~夢~】は毎週日曜日公開。次回は11月26日です。