岸田奈美さん「こんなことはもう二度と書けない」と語る新境地『飽きっぽいから、愛っぽい』

 急逝した父、車いすユーザーの母、ダウン症の弟との情報過多な日々をインターネット上で綴ったことをきっかけにデビューし、“100文字で済むことを2000文字で書く” をモットーに活動する文筆家の岸田奈美さん。4冊目の著書となる『飽きっぽいから、愛っぽい』(講談社)は、文芸誌「小説現代」で連載した同名エッセイに加筆修正を加えて単行本にまとめたもの。岸田さんいわく「大きな赤ちゃんが生まれました」という本書について聞いた。

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新刊『飽きっぽいから、愛っぽい』(講談社)を上梓した文筆家の岸田奈美さん(撮影:蔦野裕)

初の文芸誌の連載は「書けなくなったぞというところからスタート」

 メディアプラットフォーム「note」をきっかけにデビューした岸田さん。初めて文芸誌から連載の依頼を受けた感想を「 “新人賞に応募したわけではないし、ネットから出てきたのにいいの?” という思いと、これで地元の人に  “怪しくないぞ” という印籠ができるなという喜びがありました」と振り返る。「地元では私が怪しい情報商材を売っていると思われていた節がありまして(笑)、“インターネットで自分のことを文章に書く……この人大丈夫?” みたいな空気をヒシヒシと感じていたので」。

 そんな本書で描かれるのは西宮浜、淡路島、鈴蘭台、美竹通り、小豆島の旅館といった岸田さんの記憶の断片からすくい取った場所とそれにまつわるエピソードたち。リズム感のある文体とユーモアあふれる筆致はそのままに、自身の過去や思いと徹底的に向き合った言葉の数々は私たちそれぞれの記憶にある情景をも浮かび上がらせる。ウェブ媒体と紙媒体の執筆の違いについて聞くと「このエッセイは書けなくなったぞというところからスタートしたんです」と意外な告白が始まった。

「『note』やブログは3~4行空けて書いたり太字にしたりできるので、前後の文脈がつながっていなくても段落が空いているとここで場面が変わるとか、太字だとここを強調したいというのが分かりやすいんです。縦書きの原稿だとそこまで行間を空けられないので、今まで雑に飛ばしていた場面と場面の移り変わりとか、その時どんなことを思っていたかという感情の移り変わりをシームレスに書かないといけない。自分の記憶や感情と丁寧に向き合って、文章の解像度を上げないといけなくなったんです」と岸田さん。

「最初の予定では、自分の人生を時系列順に書いていくエッセイだったんですけど、連載5回目あたりで今の自分に追いついて、書けなくなってしまったんです。イメージでは20回くらい連載できる予定だったのに、“あれ、私の人生って5回で終わっちゃうの?” と思って。それまではすべらない話方式というか、起承転結があってオチもある話を書いて笑わせるのが当たり前で、文章が書けなくなったのは初めての経験でした。

 もう書かないほうがいいと思ったので、講談社さんに “すみません、やめたほうがいいかもしれません” と相談したのですが、“やっぱり書きましょう” ということになって、やめようという意識から書けないことにこそ何かがあるんじゃないかという意識に切り替えました。そこから書くための約束事として『場所』をフックに、覚えている場所や風景をひとつ入れることにして、気づいたことや改めて考えたことを全部書いていくスタイルになりました。

 話にまとまっていない記憶の中から、分からないけれどなぜか胸に残っているかけらを拾い集め、忘れっぽい私がぼんやりと覚えていることには “何か意味があるんだ” と信じて、ダウジングマシンを片手に埋蔵金を掘り進めるように書いていきました。その時は固く絞り切った雑巾みたいに何も出てこなくて、それでも書こうとするためにとにかく必死でしたね」

『飽きっぽいから、愛っぽい』という印象的なタイトルは、連載時にいくつかの案から選ばれたものだという。「小説現代」編集部の山下直人さんはその理由を「飽きっぽさの中にも愛があるというのが岸田さんらしいし、 “飽きっぽい” という音の響きもいいですよね」と語り、岸田さんも「 “飽きっぽい“ というのは私がずっと、めっちゃ言われてきたことなんです。だからひとつの物事に深く関われる人や、興味が長続きする人がすごくうらやましかったんですけど、編集の山下さんや周りの人たちが、これだけいろんなことが起きる私の話を楽しんでくれて。もしかしたら飽きっぽさは、私にとって愛せる弱みなのかもしれないと信じたくて、呪文のように絵馬のようにこのエッセイを書きました」と明かした。

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