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【長島昭久のリアリズム】どうなるトランプ政権!? どうする日本の安全保障!

2017.03.27 Vol.687

 トランプ政権がスタートして2か月が過ぎたが、依然として政策の方向性もその決定過程も不透明なまま、いや混沌とした状況にあると言った方がより正確だろう。もちろん、次々に打ち出される大統領令が示す方向性は明瞭だ。選挙戦中に公約したことに忠実なのだ。「まさか、本気でメキシコとの国境に壁なんか造るとは!」と熱烈な支持者たちも驚いたほど忠実なのだ。それはそれで結構なことかもしれないが、大型減税と大規模インフラ投資との財政的な整合性は? 本気で保護主義を貫こうとしているのか? 今さらアメリカ製造業の復活など夢物語ではないか? 結局、物価高騰のあおりを食うのはコアの支持層ではないのか? おまけに、国防費1割増などという予算要求が連邦議会を通るはずもない…。

 この間、閣僚15ポストのうち議会の承認を得て正式に就任したのは国務、国防長官はじめ6名と半数にも満たない。政権交代(とくに、民主党から共和党へ)で約4000人入れ替わるといわれるワシントンでは、その「回転ドア」の仕組み(政府からシンクタンク、そこから政府高官を経て再び民間へといった政策立案コミュニティにおける典型的なキャリア・パスを回転ドアに喩えて)が全く動かなくなっている。なぜなら、エスタブリッシュメントを辛辣に批判してきたトランプ陣営は、これまで米政府で政策立案を担ってきたプロフェッショナル達を徹底的に排除しているからだ。そのため、シンクタンクには就職口も肝心の政策情報も来なくなり、Think Tank(「知」の集団)がSink Tank(「沈む」集団)になったなどと揶揄されている。

 いずれにせよ、ワシントンは深刻な機能停止に陥っているように見える。その中で、ひとり気を吐いているのが国防総省(ペンタゴン)だ。現役時代から将兵の尊敬を集めてきたジェイムズ・マティス退役海兵隊大将を長官に迎え、150万将兵プラス50万人の背広組からなる200万組織は政権が変わろうとも結束を保ち微動だにしないというわけだ。世界中からブーイングの的となった大統領の「入国禁止令」に反発して900人を超える職員が非難文書に署名し、先月末高官が大量辞任した国務省とは大違いだ。(ちなみに各国に派遣される特命全権大使も、議会承認はおろか指名も殆どされていない。)

 そんな中で、北朝鮮の脅威は日に日に高まり、中国やロシアは着々とその影響圏を拡大しつつある。我が国の安全保障を全うするためには、米国の政権がどうのこうの言っている暇はなく、精神的にも態勢面でも「自立」を図る必要がある。その意味で、私は、我が国防衛の基本コンセプトである「専守防衛」を改めて見直す時期が来たと思っている。詳細は次回以降で考えてみたい。

(衆議院議員 長島昭久)

【長島昭久のリアリズム】トランプ政権を迎え撃つ我が国の覚悟

2016.12.12 Vol.680

「不動産王」転じて「暴言王」と称されたドナルド・トランプ氏が激戦の米大統領選を制すると予測できた人は世界中でもほんの一人握りではなかったでしょうか。すでに、「保護主義が加速するのではないか」「欧州に暗い影を落としている排外的な政治勢力がますます台頭するのではないか」「第二次大戦後にアメリカを中心に構築されたリベラルな国際秩序が崩壊するのではないか」などなど、有識者を中心に世界中で懸念が広がっています。我が国でも、ヒラリー・クリントン女史の勝利を前提に組み立てられてきた安倍外交が、肝心のTPPと日露関係で大きく変調を来しています。

 とりわけ、日米同盟の行方が気懸りです。2009年に起こった日本の政権交代でも日米関係が安定するのに約1年かかりましたが、今度は全く新しいタイプのアメリカ大統領の登場(8年ぶりの共和党政権という以上に、政治家でもなく軍務経験も持たない史上初の大統領の誕生)ですから、日米同盟の基本構造に大きなインパクトを与えることになるのは明らかです。現に、選挙キャンペーン中には、米軍の駐留経費負担や日本の核武装、防衛費などをめぐって歴代米政権とは全く異質の見解が示されました。
 しかも、巷間伝えられるところによれば、選挙後に会談したヘンリー・キッシンジャー博士はトランプ氏に対し「中国とのグランド・バーゲン」を働きかけたといいます。その意味するところはハッキリしませんが、ニクソン政権で同盟国の頭越しに電撃的な米中和解を実現させたキッシンジャー博士の発言だけに、これまでのアジア太平洋地域における国際秩序の根幹を揺るがすような「変化」が起こる可能性を覚悟せねばならないでしょう。最近のインタビュー記事で「同盟関係を考え直す必要がある」と明言しているキッシンジャー博士だけになおさらです。

 政権の中枢であり対外関係を取り仕切る国務、国防両長官がいまだに揃っていない段階でトランプ政権の外交・安全保障政策を予測することは困難です。しかし、キッシンジャー博士の言葉があろうがなかろうが、日米同盟が真に試されるのは対中戦略をめぐってであることは自明ですから、我が国のNSC、外務、防衛当局は一刻も早くトランプ次期政権のカウンターパートと的確なコミュニケーションを図る必要があるでしょう。

 日本は、これを機に、独立自尊の精神に立脚して、日米同盟の基本構造、アジア太平洋地域の平和と安定と繁栄の秩序づくりにおける自国の責任と役割について、今一度ゼロベースで考え直さねばなりません。いつまでもアメリカに依存した姿勢で乗り切れるほど今後の国際環境は甘くないと腹をくくり、トランプ新政権と対等の立場で同盟戦略を再構築して行くのです。

(衆議院議員 長島昭久)

国家と安全保障を考える(その12)/連載コラム「長島昭久のリアリズム」

2016.03.14 Vol.662

 2009年、オバマ大統領は、就任早々「アメリカ合衆国は、太平洋国家である」と高らかに宣言しました。20世紀初頭、西部開拓をほぼ完了した米国は太平洋を超えてさらに西進を開始、ついにフィリピンを占領し大陸アジアに迫りました。以来、米国は、必然的に西太平洋においてアジアの覇権国家と衝突することになりました。1920-40年代には大日本帝国と、大戦後1990年までソヴィエト連邦と、そして21世紀には中華人民共和国と地政戦略的なせめぎ合いを演じています。そのバランス・オヴ・パワーの最前線は、今も昔も「第一列島線」(日本列島から台湾、フィリピン、ボルネオに至る)と「第二列島線」(小笠原諸島からテニアン、グアム、パプアニューギニアに至る)です。

 大日本帝国の「絶対国防圏」は第二列島線に沿って設定されていましたし、朝鮮戦争の引き金を引いたといわれる「アチソン・ライン」は第一列島線に沿って画されました。そして、今、中国は、第一列島線の内側を「内海化」(つまり聖域化)しようとして南シナ海に巨大な人口島を造成し急ピッチに軍事要塞化を進め、その海軍艦艇や長距離爆撃機等の活動範囲は第二列島線まで到達する勢いを見せています。

 もちろん、米国も日本も国際社会も、手を拱いてそれを傍観しているわけではありません。米国は、クリントン国務長官(当時:現在、大統領予備選に出馬)が提唱した「アジア・リバランス」(アジアにおけるパワー・バランスの再均衡を目指す)政策を鋭意実行に移しています。その軍事的な核心は、いかにして中国が築き上げている「接近拒否」能力(自国領域への相手国兵力の接近を拒否する能力:例えば、潜水艦や空母、弾道・巡航ミサイル等)を相殺するための対抗手段を確立し得るかです。米太平洋軍では、陸海空海兵隊の統合機動展開能力の開発と同盟国や友好国との連携の更新に全力を挙げています。

 日本も、米国の主導するリバランス政策を補完・支援するため、集団的自衛権の限定行使を含む戦後最大の安全保障法制の改革に着手し、日米防衛協力の指針(ガイドライン)を18年ぶりにアップデートしました。同時に、経済分野では環太平洋経済連携協定(TPP)の推進に日米が中心的な役割を果たしています。さらには、南シナ海における法の支配を確立するため、日米豪が中心となりASEAN諸国を巻き込んだ国際協調の促進が図られています。これら一連の動きは、中国の目覚ましい軍事的、経済的台頭に対するパワー・バランスの確保を通じて地域秩序の安定化を図ることにその主眼を置いています。

 次回はいよいよ今シリーズの最終回。今後のアジア太平洋地域の平和と安定をどう維持発展させて行くべきか、我が国の安全保障戦略の要諦について考えます。(衆議院議員 長島昭久)

長島昭久のリアリズム 国家と安全保障を考える(番外編)

2014.11.24 Vol.631

 総選挙の最大の争点は、アベノミクスの是非だといわれていますが、本コラムでは、番外編として、第二次安倍政権の約2年における外交・安全保障政策について徹底検証を試みたいと思います。

「積極的平和主義」を標榜する安倍首相は、自らの外交をしばしば「地球儀を俯瞰する外交」という言葉で表しています。その言葉通り、就任以来2年間で世界50カ国を歴訪、のべ150回を超す首脳会談を行い、まさに精力的な首脳外交を展開してきました。その眼目は“台頭する中国といかに向き合うか?”にあったことは言うまでもありません。

 そのために、中国を取り囲むようにして、日本を中心に北から時計回りに露、米、豪、印といった国々との連携を最重視しました。私は、この四角形を「戦略的ダイヤモンド」と呼びました。もはや準同盟ともいうべき豪州や、対中警戒感を隠さない親日家モディ首相率いるインドとの連携強化に加え、ロシアのプーチン大統領と7回もの首脳会談を重ねてきたのもそのためです。ウクライナ問題をめぐり欧米との溝を深めるロシアですが、中国の影響力拡大が著しい極東における日ロ、日米の利害は完全に一致しています。対ロ外交で独自路線を貫く安倍首相には、エドワード・ルトワックやジョン・ハムレら米国の著名な戦略家も支持を表明しています。

 それでも、全てが上手くいっているわけではありません。しかも、この解散総選挙によって、これまで積み上げてきた外交戦略に致命的な空白が生じてしまうことを厳しく指摘しなければなりません。まず、北朝鮮による拉致問題。家族会の皆さんはじめ多くの国民が期待していた日朝交渉の成果はゼロ。どころか、我が国最大の交渉カードだった朝鮮総連本部ビルも手放してしまいました。また、我が国の安全保障の要である米国との防衛協力のための指針(ガイドライン)改定作業も総選挙によって来春まで先送りとなる情勢です。さらに、中国との関係は複雑です。世界が注目した北京APECの場で安倍首相は「前提条件なし」との前言を翻し、日中首脳会談の条件整備として玉虫色の4項目合意文書を交わしました。早期解散を意識した行動と推察されますが、「日本側からの要請に基づき会談に応じた」「初めて尖閣諸島をめぐる日中間の見解の相違を文書化した」などという中国側の宣伝を許してしまいました。

 いずれにせよ、総選挙を行う以上、経済や景気をめぐる論争に加え、外交や安全保障の政策論議も堂々と行って参ります。

(前衆議院議員 長島昭久)

長島昭久のリアリズム 国家と安全保障を考える(その三)

2014.10.12 Vol.628

 前回は、世界史の中でも地政学的に見て日本が稀有の存在であること、そして、その日本が強大な隣国である大陸中国とは「和して同ぜず」を1500年貫いて、独立と対等の地位を堅持してきたことを明らかにしました。しかし、近代日本は古来の基本的な地政戦略を逸脱し、結果、歴史的大敗北を喫してしまいました。

 その失敗の本質は、「大陸不関与」戦略の放棄にあります。それでも、明治の元勲が指導した初期の時代に戦った日清、日露の両戦役は、文字通り「自存自衛」のための已むにやまれぬものといえ、戦争遂行にあたっても国際法を徹底的に遵守するなど近代国家の矜持を示していました。松本健一『日本の失敗』は、昭和の戦争と明治の戦争との決定的な違いを、それぞれの「開戦の詔勅」を紐解いて浮き彫りにしています。明治天皇が渙発された日清、日露の開戦の詔勅には、「国際法」や「国際条規」という文言が明記されていました(ちなみに、大東亜戦争の開戦の詔勅には、「国際法」という文言も観点も見当たりません)。また、日清、日露の戦間期に勃発した北清事変(1900年)に出兵した日本軍の統率、規律、品格に世界の列強が驚嘆したのは、つとに有名です。

 しかし、往々にして絶頂は転落の始まりとなることを古今の歴史は示しています。日清戦争後、独仏露による露骨な三国干渉を挙国一致の臥薪嘗胆で乗り越え、日露戦争でも10万人を超える犠牲を出しながら辛勝を掴んだあたりから、朝野を挙げて驕り高ぶり、成金がはびこり、人心は頽廃して行った・・・。明治、大正、昭和の激動を外交官・政治家として駆け抜けた重光葵は、著書『昭和の動乱』の中でそう記しています。また、朝河貫一イェール大学教授は、日露戦争のただ中に在って全米を講演し、ロシアに挑む日本の戦いがあくまでも中国の領土保全・機会均等を目的にした国際正義の戦争であることを説き、セオドア・ルーズヴェルト米大統領をはじめとする欧米の対日支援を獲得することに成功します。しかし、その朝河は、日露戦争からわずか4年で痛烈な日本批判の書『日本の禍機』を上梓します。国際正義を掲げてロシアを破った日本が、その後、中国東北部の占領地に居座り、ロシアに代わって中国を圧迫し続けているのは何事かと。朝河には日本が亡国への重大な一歩を踏み出そうとしているように映り、深刻なる焦燥感に駆られ、祖国日本に対する諫言の筆を執ったのです。

 実際、近代日本は、国際連盟の常任理事国入り(1920年)を果たし得意の絶頂に上りつめた瞬間から坂道を転がり落ちて行きました。

(衆議院議員 長島昭久)

長島昭久のリアリズム
国家と安全保障を考える(その二)

2014.09.15 Vol.626

 前回は、日本の地政学的位置づけについて基本的な認識を述べた上で、他の島国と比較しつつ、日本が世界史の中でも稀有な存在であることを明らかにしました。国際政治学の泰斗である高坂正堯は、このような日本の特性に注目し、日本を「東洋の離れ座敷」とか、西洋文明をいち早く受容したアジアの国という意味で、極東ならぬ「極西」と呼びました。また、『文明の衝突』を著したサミュエル・ハンティントンは、日本を世界8大文明(西欧、東方正教会(16世紀ビザンチン帝国発祥)、中華、イスラム、ヒンドゥー、アフリカ、ラテン・アメリカ)の一つとして、日本一国のみで成立する独立文明と喝破したのです。

 周知のとおり、大陸中国は、古来、周辺を朝貢国として属国化させ、東アジアから中央アジアに至る広範な領域をその影響下においていました。その強大な中国とわずかな距離の海を隔てて、毅然として対峙し続けた日本外交の要諦は、聖徳太子の時代から「和して同ぜず」。協調しつつも決して同化しなかったのです。

 西の神聖ローマ帝国と並び称された東の隋帝国皇帝に対し、時の摂政聖徳太子が発した言葉「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがなしや」は、つとに有名です。まさに、日中対等を内外に闡明したのです。そして、翌年の国書にはさらに強烈な言葉が並びます。「東天皇、敬(つつし)みて、西皇帝に白(もう)す」。「天」という字は、古来中国では最上位を表す特別の語。聖徳太子は、平然と「自分の国は天皇で、貴国は(格下の)皇帝だ」と言い放ったのです。

 以降、遣唐使を廃止した菅原道真しかり、日宋貿易を促進した平清盛しかり、元寇に立ち向かった北条時宗しかり。豊臣秀吉も、徳川家康も、伊藤博文も、陸奥宗光も。例外は、朝貢を通じて日明貿易で儲けた室町幕府三代将軍の足利義満くらいで、聖徳太子以来、じつに1500年にわたって日本のすべてのリーダーが中国に対し「和して同ぜず」の堂々たる外交を貫いたのです。

 ところが、近代に入って、日本は中国大陸にのめり込んで行ってしまいました。私はこのことこそが、「失敗の本質」だと考えます。明治から大正にかけて、日清・日露の戦役に勝利し、国力を伸長させて行く途上で大陸進出を図り、これまで堅持してきた大陸不干渉政策を逸脱し、戦略的な大失策を犯してしまったのです。次回は、結果的に300万人余の同胞の命を奪い、日本列島を焦土とし、国家経済を破壊し尽くしてしまった、近代日本の戦略的な失敗の本質に迫りたいと思います。(衆議院議員 長島昭久)

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