【徳井健太の菩薩目線】第48回 計算や理論を立てるからイライラが募る。人生は“あるある”くらいがちょうど良い

 俺は、これまで理論に重きを置いてギャンブルをしてきた。 どういうわけだか、収支はプラスになっていないように思う。そこで、今年から経験に紐づく“あるある”をもとにギャンブルをするようにしてみた。すると、それなりに当たる機会が増えてきた。

 例えば、ともに競馬に行った人間がやたらと当てている。それを横目で見ていた俺は、次のレースからその人に乗っかってみる……が、その途端にその人は当たらなくなる。こういったケースが、ギャンブルの世界では頻繁に起こる。もしかしたら、ギャンブルだけじゃなく、人生も同じかもしれない。

 “あるある”。見方を変えれば統計学、データとも言える。どれだけデータが確かであっても、人それぞれ独自の理論・考え方があるわけで、俺は今までギャンブルをする際は、後者を優先してきたんだ。ところが、(データというと少し頭でっかちな印象を与えるから、ここではあえて“あるある”と呼ぶことにする)“あるある”を意識するようになってから勝ち運が変わってきた。

 理論上、「そうしたほうがいい」と分かっていても、“あるある”が頭をよぎるのであれば、それに流れた方がいい。全員がAを選んだとしても、自分にとって「Bがあるある」と感じた場合、俺はBを選ぼうと思う。オカルト的な判断に映るかもしれない。でも、ときに“あるある”は人知を超えていくんだ。

 ある時、俺はギャンブルの番組で、荒れて、荒れて、荒れない……荒れて、荒れて、荒れない……が繰り返されるケースに遭遇した。理論上、次のケースは本命が来る可能性が極めて高かったから「荒れない」買い方をした方が賢明だった。だけど、 荒れて、荒れて、荒れないの「荒れない」の次のレースだ。荒れることを見通して勝負したところ、見事に的中した。

 よくよく考えると、世の中はワケの分からないことだらけなのに、なんで俺たちは数字だったり理論だったりを、こんなにも重宝しているんだろうと思う。とりわけ、俺のような高卒のバカが、なぜ理論を信じきっていたんだろうと思う。

 俺たちは、電子レンジの理論や構造を分かっていないのに使う。こういう理論で加熱されています、ということをどれくらいの人が説明できるだろう。なぜテレビは薄くなっても映像が映るのか……分かっていないけど、俺たちはテレビを見ているし、なぜか「テレビは薄い方がいい」と思っている。俺たちは生活をしているとき、実はそれほど理論ってものを意識していない。どちらかというと感覚に頼り切っている。

 

“あるある”を貯めこんでいくことが勝負の分かれ道



 考えてもみてほしい。もし、目の前に“リモコンとボタンがある画面のついた薄い物体”があったとしたら、おそらくほとんどの人が「テレビ(モニター)だろう」と解釈するはずだ。理論や構造が分かっている人は、そのテレビに似た薄い物体を調べて、「〇〇なのでテレビではない」と判断できるかもしれない。でも、そんな専門的な知識や理論がない場合、俺たちは経験上の“あるある”で判断するしかないんだ。その薄っぺらいテレビらしきものを感覚的な知見から考察するしかない。俺たちの日常は、“あるある”的な行動が支えている機会が少なくない。

 そんな奴が、ギャンブルのときだけ一丁前に理論を振りかざす。毎日、ギャンブル理論を研究しているわけでもない。そりゃ当たらない。勝てるか、勝てないか、ってことだけを考えるなら、日ごろから培われている圧倒的な“あるある”に頼った方がいいんだろうと思った。

 偏見には、社会の偏見(かたまりの偏見)と個人の偏見があると思う。社会の偏見に関しては、許されないものもあるだろう。その一方、個人の偏見に関しては、俺は自由だと思いたい。むしろ、誰もがそういうものを持っている方が健全だと感じるくらいだ。

 個人の偏見を形成する際に、大きく作用しているのは、その人にとっての“あるある”だと思うんだよね。俺は、ロレックスとパワーストーンを一緒に身に付けている人を見ると、「信用できない」と、脳に警報が鳴り響く。「いい人もいる、それはお前の偏見だ」という意見があることも、当然、分かっている。だけど、俺の記憶には、過去5人中4人が嫌な人間だったという事実が刷り込まれている。俺の“あるある”として、「信用できない」というマスからスタートすることになるんだ。その時、もし無理やり他者の理論や社会の意見に従ってしまったら、大きなマイナスを被ってしまいそうな予感がする。

 自信を持って、自分の“あるある”を信じることができるか否か。いかにして、自分の中に“あるある”を貯めこんでいけるかが、成長の鍵となるんだろうね。理論なんてものは、諸刃の刃だよ。計算や理論を立てるほど、それが上手くいかないとイライラしていく。上手くいかなくなったとき、「こういうケースは、こういう“あるある”になりがちだから――」と、考えられる気持ちを持っている方が、ゆとりがあるよ。理論なんてものは、破綻するためにある。破綻しても乗りこなせる意思決定の方法を、懐に隠し持っていた方が良い。その一つとして、“あるある”は有能だよ。

 自分の中の“あるある”を増やしていく。何をしていいか分からない、どれを選んでいいか迷っている。そういう機会にこそ、“あるある”の種が落ちている。俺の話に、「あるある」と首を縦に振ってくれる人が多いことを祈りつつ、皆さんに、「それでは良いお年を」の言葉を贈り、2019年に別れを告げたい。


※【徳井健太の菩薩目線】は、毎月10日、20日、30日更新です
◆プロフィル……とくい・けんた 1980年北海道生まれ。2000年、東京NSC5期生同期・吉村崇と平成ノブシコブシを結成。感情の起伏が少なく、理解不能な言動が多いことから“サイコ”の異名を持つが、既婚者で2児の父でもある。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。公式ツイッター:https://twitter.com/nagomigozen
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