新“SASUKE伝説”継承者 猿田洋佑【格闘家イケメンファイル Vol.51】

格闘家イケメンファイル Vol.51
撮影・神谷渚

 修斗のフライ級(-52.2㎏)といえば、内藤のび太がベルトを返上した事で空位になったチャンピオンの座をかけて熾烈な争いが繰り広げられている階級。猿田洋佑は、そんな強豪たちの中に、ひとつ階級を下げ参戦。

「プロになってからは、2009年に新人王を取ったり、2012年にインフィニティトーナメントで優勝したりするなど、ケガがありながらも良い成績を残す事ができました。しかしインフィニティの翌年の2013年にタイトルに2回挑戦するものの、1回目がドローで2回目が判定負けと惜しいところでチャンスを逃してしまい…。なので、階級をひとつ落とし、適正階級でチャンピオンを目指そうかなと。前の階級でもランキングは1位でしたが、昨年の11月に現チャンピオンの扇久保博正選手に挑戦者決定戦で負けてしまいました。そうなると今度自分にチャンスが回ってくるのが1年後か2年後か…。それを考えたら階級を落としてフライ級で上に行こうと。というのと、のび太選手と戦いたかったというのもあります。でもどっか行っちゃったので、とりあえずここでチャンピオンになって、のび太を追いかけたいと思います(笑)」

撮影・神谷渚

 プロデビューも順調で、プロになってからもとんとん拍子と思われるが…。

「そうですね。デビューまではいい感じだったんですけど、約10年の選手生活の中で、トータル3年はケガのリハビリをしていましたから、決して平坦な道ではなかったです。中学・高校と器械体操をやっていたんですが、卒業と同時に、近所のジムで格闘技を始めたんです。体操は中学高校で目一杯やりきったので続けるという選択肢はありませんでした。体力にも自信がありましたし、体を鍛えていたので、なんとなくできるかなと思ってはいたけど、実際やり始めたら……楽しくて楽しくて(笑)。いつ行ってもいいし、いつ帰ってもいい。知らないことを一個ずつ覚えるのも楽しいし、体操の練習に比べれば体力的にもきつくなかったので。そんな感じで楽しくやっていたら入会して3カ月後に初めて柔術の試合に出て、その後も立て続けに4試合やって優勝したんです。そこからハマっちゃって、10カ月後にアマチュア修斗の試合に出て一本勝ち。それでこれは行けるかな…と思い始めた数か月後にはプロになっていました。しかし2007年に右ひじの脱臼骨折をしてしまい、1年後に復帰。その年に新人王になりましたが、2カ月後、今度は試合で左手を脱臼。それでまた1年棒に振り、やっと試合復帰した2週間後にまた右ひじを脱臼した。もうついてないとしか言いようがないぐらいダメな時期でしたね。最近は何年もケガをしてませんが、あの頃はしばらく格闘技をやるのが怖かったです」

撮影・神谷渚

 次の試合は7月17日(日)後楽園ホールで行われるプロフェッショナル修斗公式戦だ。

「対戦相手は外国人選手を予定してますが、同じ日に修斗フライ級の第4代王座をかけ、澤田龍人選手と飛鳥拳選手が試合をします。どっちが勝っても、次の挑戦者は自分になるように、きっちりと勝ってアピールしたいと思っています。上の階級で負けて階級を下げたわけではないし、この階級では絶対に負けない自信もある。今フライ級が修斗の顔みたいになっているので、自分が修斗の顔になれるように、今回勝ってチャンピオンシップに行かせてもらおうと思っています。自分は柔術から始めたのでグラップリング、寝技が得意だと思っている人もいるかも知れませんが、自分ではオールラウンダーだと思っている。寝技で上をとったり下になったり目まぐるしく変わるスクランブルの攻防は、気持ちが負けると下になってしまいますが、自分はずっとループして回り続けられる気持ちの強さがある。スピーディーで目まぐるしい攻防をお客さんに楽しんでほしいです。あとはコーナーからの勝利のバク宙。たまにやる選手もいますが、僕のバク宙はそんなものじゃない(笑)。元・体操選手仕込みで、高さがけた違いなので、それもぜひ見て下さい。飛びますよー(笑)」

猿田洋佑(さるた・ようすけ)
1987年7月8日生まれ、埼玉県川口市出身。160㎝。高校まで器械体操をし、その後総合格闘技の道へ。天性の運動神経の良さと器械体操で培った技術力で、柔術、グラップリング、修斗を始めた当初より頭角を現す。すぐにアマチュアの試合に出場し勝ち星を重ね、東日本新人戦フレッシュマントーナメント関東選手権優勝、アマチュア修斗東北選手権優勝、全日本3位を経てプロデビュー。2009年、バンタム級新人王。2012年インフィニティトーナメントバンタム級優勝。 和術慧舟會HEARTS所属。試合情報は→ http://www.shooto-mma.com/で。Twitterアカウント:@tobizaru0708