東京オリンピック・パラリンピックが全日程を終了しました。1年延期した末に、開催の是非をめぐって世論が二分し、無観客開催という異例づくめとなりましたが、懸念されたテロや大規模クラスターなどの緊急事態はなく、「東京2020」をなんとかやり切ることができたこと、招致段階から関わってきた全ての関係者に心より感謝を申し上げます。本当にお疲れ様でした。
私自身が政治家時代、特に心血を注いだ課題がオリパラでした。まだ東京での開催をめざしている段階でしたが、2009年から文部科学副大臣に着任してからは正式に招致担当となり、難題を一つ一つクリアしていきました。国立競技場の建て替えは、巨額の費用がネックでしたが、toto法の改正でサッカーくじの当選金を引き上げ、一定の財源確保に努力するなどして財務省の理解を得る流れを作り、明治神宮や地域住民などへの周知理解も行いました。
オリパラを開催したかった理由はたくさんありますが、スポーツに限って言うならば、21世紀の時代に合わせたスポーツの価値を再定義し、広く日本社会の中でその社会的役割の重要性を意識するように根付かせるためのオリパラを「起爆剤」にする思いでした。
当時スポーツ庁はまだなく、文科省が所管するスポーツ行政は私が担当でした。その際、こだわったのが、スポーツ振興法を半世紀ぶりに改訂して制定したスポーツ基本法です。高齢化社会を見据え、国民一人一人がスポーツをやって元気になってほしい、トップアスリートの活躍を見て感動や豊かな気持ちを味わってほしい、地域社会がスポーツを通じて豊かなコミュニティを作ってほしい…いわば、スポーツを「する権利」「観る権利」「支える権利」をスポーツ権として定義し盛り込んだのが新法の特徴でした。
小池知事就任により、私は、委員会から引きましたが、コロナ禍でオリパラも根底から揺らぎました。あまりにゴタゴタが続いたためスポーツ基本法に込めた理念のような話、スポーツが社会にもたらす役割などは世の中で忘れ去られてしまったようで忸怩たるものがあります。
一方で、ラグビーワールドカップは、そのレガシーとして、英国名門の「ラグビースクール」が日本校を創設する構想を大会開催中に発表しましたが、ついに、場所が千葉大学柏の葉キャンパスに決定。着々と準備がすすんでいます。
コロナはいずれ収束すると私は信じています。そのとき「東京2020」のレガシーを次代に継承していくために、社会におけるスポーツの価値を皆で呼び覚ましていかねばなりません。
(東大、慶應大教授)