WASEDA-EDGE 人材育成プログラムが主催するシンポジウム『アントレプレナーシップ教育とアントレプレナー養成への挑戦』が3月19日に早稲田大学 国際会議場にて行われ、起業学のエキスパートによる講演をはじめ、学生や関係機関との意見交流、起業を学ぶ受講生らによるプレゼンテーションなどが行われた。
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上原誠「KOICHIさんの分も背負って戦いたい」
日本のヘビー級を長く支えたKOICHI選手が交通事故で急逝
K-1ヘビー級で活躍したKOICHI選手(本名、渡邉浩一)が4月7日、バイクによる交通事故で亡くなった。37歳だった。
この日の夕方、都内で行われたK-1のカード発表会見の冒頭、宮田充K-1プロデューサーから報告された。
宮田氏はKOICHI選手について「K-1には2016年から参戦して、これまで3回試合をしていただいた。昨年11月23日の初代ヘビー級王座決定トーナメント1回戦でイブラヒム・エル・ボウニ選手と対戦し、その試合がラストファイトとなりました。ご遺族の皆様にはお悔やみ申し上げます。ご冥福を祈らせていただきます。試合の話をしている時もすごく穏やかで、これがファイターなのかなと思わせるような静かな男だったが、試合は勇敢に戦うファイターだった。11月23日の試合では、これを最後にもう試合をしないということは所属のバンゲリングベイ・スピリットさんからうかがっていたが、心の中ではまた試合をしてくれないかという気持ちもあった。そんな中ファイターとしてピリオドを打って、これから第二の人生をというところで、非常に残念に思っています。これからもK-1ヘビー級の戦いは続いていきますが、KOICHI選手の分までファイターたちには頑張ってもらいたいと思っています」と話した。
山崎秀晃が復帰戦で左右田を破った中澤と対戦【6・17 K-1】
ともに丁寧な言葉遣いながらも辛辣なコメントの応酬
K-1実行委員会が4月7日、都内で会見を開き、「K-1 WORLD GP 2018 JAPAN ~第2代フェザー級王座決定トーナメント~」(6月17日、埼玉・さいたまスーパーアリーナ・コミュニティアリーナ)のスーパーファイト4試合を発表した。
3月大会のリング上で復活宣言した山崎秀晃が現Krushスーパー・ライト級王者の中澤純と対戦する。
山崎は「K-1 WORLD GP 2016 -65kg日本代表決定トーナメント」で優勝し、「世界最強決定トーナメント」に出場したものの、ゴンナパー・ウィラサクレック戦でひざを負傷。昨年4月のゲーオ・ウィラサクレック戦で状態を悪化させ、長期欠場し手術に踏み切っていた。
中澤は第4代王者の山崎の返上による王座決定トーナメントを制し第5代Krushスーパー・ライト級王座を獲得。これをきっかけにK-1にも参戦し、3月大会では因縁の左右田泰臣を判定で破り、K-1での初勝利をあげた。
活躍時期が微妙にずれていたことでこれまで交わることのなかった2人だが、山崎の復帰戦という大舞台でこの対戦が実現した。
ラジオ「JAPAN MOVE UP!」 放送250回を超えました!
2020年のその先へ――日本の「これから」を語るラジオ
新たな冒険、新たな出会い、新たな経験。「二ノ国Ⅱ レヴァナントキングダム」
人気ファンタジーPRG「二ノ国」シリーズの最新作となる、「二ノ国Ⅱ レヴァナントキングダム」が先日、ついに発売された。シリーズの魅力といえば、プレイヤーを引き込むストーリー、魅力的なキャラクター、唯一無二の世界観、美しいグラフィックや印象的な音楽などなど、数えきれない。最新作もまた、国内外で高い評価を集め、リリース前から多くの注目を集めた。
陰謀によって国を追われた幼き王「エバン」は、二ノ国を統一すると宣言、自らの王国を建国する。そこには魅力的な人たちとの出会いや、悪との戦いもある。それを繰り返して、エバンは成長していく。
剣や魔法での攻撃のほか、精霊たちと連携したり、武器の「バースト効果」を利用したスキルのパワーアップを使いこなしながらのバトルは手に汗握る。その結果、強大な敵を倒した際の達成感はとてつもない。そのほかにも、さまざまなバトルやクエストなどやりごたえもある。
エバンの声を志田未来、ロウランを西島秀俊が担当するなど、声優陣も豪華だ。
ライブ後にインタビュー THE RAMPAGE from EXILE TRIBE【JAPAN MOVE UP】
日本を元気に」を合言葉に毎週土曜日午後9時30分からTOKYO FMで放送中の『JAPAN MOVE UP supported by TOKYO HEADLINE』。今回のゲストはTHE RAMPAGE from EXILE TRIBE。
階級の壁乗り越え武尊が3階級制覇。そしてあの男へ?メッセージ
新生K-1において最大規模の大会となった「K-1 WORLD GP 2018 JAPAN 〜K’FESTA.1〜」(3月21日、埼玉・さいたまスーパーアリーナ・メインアリーナ)で行われた「K-1 WORLD GP第4代スーパー・フェザー級王座決定トーナメント」で武尊が決勝で小宮山工介を3R2分2秒、KOで破り、3階級制覇を成し遂げた。
当初は王者・大雅とのタイトルマッチで3階級制覇に挑戦する予定だった武尊だが、約1カ月前の大雅の不出場決定により急きょトーナメントに変更となった。もともと大雅と戦うためベストのフェザー級から無理をして1階級上げての試合だったのだが、トーナメントとなったことで1日に3試合しなければベルトにも、そして悲願のメインイベントにもたどり着けないという過酷な状況に。その中で見事に3つの白星を重ねた。
『モリのいる場所』試写会に10組20名
日本を代表する名優・山﨑努と樹木希林が『南国料理人』『横道世之介』の沖田修一監督とタッグ。30年もの間、ほとんど家の外に出ることもなく身の回りに生きる命を描き続けた実在の画家・熊谷守一と、その妻・秀子、そんな2人を取り巻く人々を温かく描く。
昭和49年の東京。30年間、自宅の小さな庭を探検し、生きものたちを飽きもせずに観察し、時に絵に描く画家モリ(94歳)と、その妻秀子(76歳)。そんな夫婦の家には毎日さまざまな人が訪れる。ところがそこへ、マンション建設の危機。大切な庭とそこに生きる命を守るため、夫婦がとった行動とは…。
5月19日よりシネスイッチ銀座他にて公開。
大谷翔平 ベーブ・ルース超えの第一歩!
今シーズン、日本ハムからメジャーリーグのエンゼルスに移籍した大谷翔平は3月29日(日本時間30日)、アスレチックス戦で「8番DH」でまずは打者としてメジャーデビューを果たし、初打席でライト前ヒットを放った。中2日空けた4月1日(同2日)、アスレチックス戦で今度は投手として初登板初先発し、6回6安打3失点で初勝利を挙げた。
開幕戦に投手以外で先発出場し、10試合以内に投手として先発するというのは1919年のベーブ・ルース以来99年ぶりという快挙だった。
3日(同4日)には、本拠地デビューとなるインディアンス戦に8番DHで先発し、初打席で右中間に初本塁打を放り込んだ。この日はこのほかにも2安打を放ち、マルチ安打も達成した。
勝利投手となった次の試合で初回に打者として本塁打を放ったのは1921年のベーブ・ルース以来という離れ業。
しかし大谷の勢いは止まらない。翌4日(同5日)にも8番DHで先発し、リードされた5回の第2打席で同点に追いつく貴重な一発を今度はセンター左寄りのスタンドへ。
オープン戦では打率1割台、防御率27.00に終わり、一部には「二刀流」に懐疑的な声もあったが、初勝利とこの2本の本塁打でそんな声を完全に黙らせた。
なにかとルースと比較されることの多い大谷だが、今後の目標は1918年にルースが達成した同一シーズンでの2ケタ勝利&2ケタ本塁打となりそうだが、難なくクリアできそうな滑り出しとなった。
早くも「ビッグ」な存在となった大谷だが、アメリカでビッグなショーヘイといえばジャイアント馬場を思い出すオールドファンもいるのでは?
馬場は1961年にデビュー1年でアメリカ武者修行に出ると短期間でメインイベンターにのし上がり、エンゼルスの地元ロサンゼルスでは「ショーヘイ・ビッグ・ババ」のリングネームで戦っていた時期もあった。地元の年輩のファンの中には「ショーヘイ」という響きに懐かしい記憶を呼び戻されるファンもいるのでは…?
あの日から7年、ダンスで元気な笑顔を増やしたい【夢の課外授業 SPECIAL in 仙台】
人気のアーティストが子どもたちにダンスレッスンをする『ダンスで日本を元気に!夢の課外授業 SPECIAL in 仙台』が3月11日、仙台市内で開催された。会場は昨年に続き今年もエンターテインメントスクール「EXPG STUDIO SENDAI」(仙台市青葉区)で、そこに岩手県大槌町、山田町、宮古市、釜石市の子どもたちが集まり、小学校3年生から高校2年生までの29名がダンスレッスンを受けた。
今回は、橘ケンチ(EXILE/EXILE THE SECOND)と世界(EXILE/FANTASTICS)が先生としてダンスレッスン。E.G.familyの重留真波と中島美央(ともにFlower)がサポート講師として参加した。
やっと表に出てきていただけたと思ったのに答弁拒否56回
「森友学園」への国有地売却に関する財務省の決裁文書改ざん問題で、3月27日、衆参両院の予算委員会で佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問が行われた。佐川氏は改ざんが行われた当時の財務省理財局長。
佐川氏は官邸や政治家の関与はきっぱりと否定。一方で、財務省は「いつ」「誰の指示で」「なぜ」文書を改ざんしたのかという核心部分については「刑事訴追の恐れがあるので差し控えたい」と繰り返し、答弁拒否は56回に及んだ。それでいながら部下に責任をかぶせているとも取れる答弁もあり、後味の悪いものとなった。

