【徳井健太の菩薩目線】第45回 一歩間違えたら、俺はインドでチャイを極めるところだった

 旅行って、気分転換になっていいよね。俺が家族と出かけるときは、「食」を第一に考える。美味しい食べ物は、大人も子どもも幸せにする。旅先を選ぶ際は――もちろん「食べログ」の出番だ。なぜなら、俺は食べログ中毒者。点数の支配から卒業しなければいけないと分かっていても、俺の身体はレビューに蝕まれている。美味しいお店を起点にして、周辺の観光情報をキャッチアップしていく。賛否あるかもしれないけど、旅行の仕方は人それぞれ。世知辛い世の中で、美味い食べ物は、数少ない正義の一つだと思うから。

 家族と旅行を考えるとき、アクセス性も考慮する。自然と、海外旅行はハードルが高くなる。今振り返ると、『(株)世界衝撃映像社』では、本当にいろいろな国でロケを敢行したなと思う。どの国も個性的だったけど、中でも忘れられないのはインドだった。

 インドは、やっぱりインドだった。行くところ、行くところに用意されているはずのものがなく、すべてのロケがばらしになった。12時間かけて移動したにもかかわらず、到着先にあるべきものがない。ナチュラルに幻覚症状を引き起こす国、それがインドだった。

 道中、霧が深かったことを、今も鮮明に覚えている。突如、道路に牛が飛び出してきて、俺たちの乗る車は回避するために大きく反対車線にはみ出した。目に飛び込んできたのは、猛スピードで向かってくるトラック。俺は、「死んだ」と思ったから、静かに目を閉じた。目を開けると、俺はどうやら生きていて、始まるはずのロケは始まらなかった。「毎晩眠りにつくたびに、私は死ぬ。そして翌朝目をさますとき、生まれ変わる」というガンジーの言葉を、少しだけ理解したよ。

 ロケは、移動遊園地を観に行くという内容だったと思う。ところが、そこに移動遊園地はなかった。現地のコーディネーターは、怪訝そうな顔をするばかりで、特に驚いている様子はなかった。来てしまった以上は、何かしらVTRに収めないといけない。そこで、急遽、近辺からビックリ人間を集めることになった。スムーズにビックリ人間が集まるあたりが、この国の不気味なポテンシャルを感じさせた。

 聖なる川であるガンジス川が流れるバラナシにも行った。沐浴をするという分かりやすいロケを終え、自由な時間を与えられた俺は、一人で散歩をすることにした。すると、一人のおじさんが俺にチャイをすすめてきた。断る道理はないので、一飲みして立ち去ろうとすると、何やらヒンドゥー語でまくし立ててくる。どうやら、「金を払え」と言っているようだった。そりゃそうだ、と思ったが持ち合わせはない。そのことを伝えると、何を言っているのかは分からないが、怒気だけはひたすら伝わってきた。


インドで死ねたら本望かもしれない



 困ったことに、本当に何も持ち合わせていない。そのことをジェスチャーで伝えると、おじさんが働いているだろうよく業態の分からないレストランで、どういうわけか皿洗いをすることになった。まったくカメラが回っていない状況で、俺はひたすら濁った水でコップを洗う仕事に従事した。一体、俺はインドで何をやっているんだろう――。

 30分ぐらいコップを洗い続けていると、頭がぼーっとしてきて、「このままインドで一生を終わるのも悪くないな」と、妙な悟りを開き始めてしまった。だって、俺がここにいることを、誰も知らなければ伝えてもいない。連絡手段もないから、このままチャイの世界で一番を目指すのかなって。

 時折、休憩することも許されて、おじさんがチャイを俺に手渡す。「美味いだろ?」とでも言っているんだろう。「このチャイがすべての元凶じゃねぇか」と思ったけど、たしかにインドのチャイは抜群に美味しかった。

 再びコップを泥水で洗い始めると、偶然、吉村とカメラクルーが通りかかった。「お前、何やってんの!?」と、吉村が目を丸くする。俺が一番、知りたいよ。事情を説明すると、スタッフさんがお金を払ってくれ、俺は水揚げされた。迷惑をかけて申し訳ないと思う一方で、言葉ではなかなか説明できない奇妙な体験が、とかく楽しかったと余韻にふけってしまった。戦後の日本にあっただろうドサクサの中で、何だかよく分からないけど人生が転がっていく感じが、とても楽しかったんだ。

 俺たちが上京して間もない頃の新宿歌舞伎町のような、きな臭いことが高速で行われているような、あの独特の世界観が、インドにはあった。とは言え、インドも劇的に成長し続ける国だから、変わってしまった部分も少なくないんだろうな。それを確かめに、またいつの日か訪れてみたいと思っている。俺が疲れた顔をして、インドに飛び立ったという情報を聞いたら、「徳井は死んだ」と思ってもらって構わない。インドで死ねたら、本望だよね。


※【徳井健太の菩薩目線】は、毎月10日、20日、30日更新です
◆プロフィル……とくい・けんた 1980年北海道生まれ。2000年、東京NSC5期生同期・吉村崇と平成ノブシコブシを結成。感情の起伏が少なく、理解不能な言動が多いことから“サイコ”の異名を持つが、既婚者で2児の父でもある。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。公式ツイッター:https://twitter.com/nagomigozen
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