中曽根康弘元首相が死去。101歳

2004年、小泉純一郎首相、宮澤喜一氏と(写真:ロイター/アフロ)
 北関東ブロックの「終身1位」を約束されていたのだが、平成15年、当時の小泉純一郎首相から「定年制」を理由に政界引退を迫られ、当初は反対。「政治的テロ」「非礼」などと小泉氏を批判したものの、最後は受け入れ引退した。
 ライフワークともいえる憲法改正については平成15年の議員引退後も超党派の「新憲法制定議員同盟」の会長を務めるなど積極的に発言を続けてきた。

 昨年5月、100歳の誕生日を迎えるにあたって「政治は与野党を問わず、国民世論の喚起とともに真に国民参加となる憲法の実現を目指し、国家の基本たるこの課題に真剣に取り組んでゆくことを期待する。国の将来を見据え、現状を改革し、果敢に国の未来を切り拓いてゆくことこそ政治の要諦だ」といったコメントを発表した。

 また中曽根氏は、終戦から40年になる60年8月15日、戦後首相として初めて靖国神社を公式参拝した。

 しかし東京裁判A級戦犯の合祀問題と絡めて日中双方から批判が強まり、翌年以降の参拝は見送っている。

 中曽根氏の死去に関しポンペオ米国務長官は11月29日、「深い悲しみとともに、元首相のご遺族と日本国民の皆さまに心からのお悔やみを申し上げます」とする声明を発表。ポンペオ氏は中曽根氏について「日本が重大な岐路にあった中で勇気を振るった指導者であり、米国にとり信頼のおける友人だった。日米の同盟および経済関係の強靱さを体現していた」と高く評価した。

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