難問に向き合い続ける時代の人づくり【鈴木寛の「2020年への篤行録」最終回】


 この度、国立福島大学の学長特別顧問に就任しました。福島大学は、国が現在計画している福島県沿岸部の「国際教育研究拠点」づくりに際して、国内外の知恵と人脈を集結し、地域を結びつけるハブとなります。この構想の実現・発展に向けても、三浦浩喜学長のお力になりたいと思います。

 東日本大震災の時、私は文部科学副大臣でした。震災後、OECDが子どもたちの教育を通じた復興サポートとして「OECD東北スクール」プログラムを構想した際、私が日本側の窓口として後押しをいたしました。このプログラムは、地域の復興を担う人材とグローバルで活躍する人材を育成することが目的で、福島大学が事務局を担っていただき、この時、三浦先生をはじめ、大学のみなさまから多大なご尽力をいただきました。

 OECD東北スクールは2012年3月、約100人の中学生・高校生が東北各地から集結。2014年8月、OECD本部のあるパリにて、東北の復興を世界にアピールするイベントを開催・成功させるという空前のプロジェクト学習でした。そして「復幸祭」と銘打ったイベントは2日間で15万人が来場する大成功でした。

 このときの日本の高校生の各国の大使や大臣へのプレゼンテーションが共感を呼び、「OECD教育2030プロジェクト」につながります。国内でも「地方創生イノベーションスクール」構想に引き継がれ、福島県立ふたば未来学園も創立され、未来創造探求の先進校になっています。
 子どもたちにとって学びの核心となるのは、緊張とジレンマを克服すべく苦闘して身につけた経験と自信です。これが、まさに大人になって、「正解」も「前例」もない、難問ばかりのいまの世の中に巣立っていった時、それぞれの強みになります。

 東北、福島は震災のあと、高齢化や医療過疎といった問題が顕在化してきました。そして今年のコロナ禍にあって、東京、日本全体も高齢化、デジタル化の遅れといった難問が噴出しました。

 いまの大学生の世代は、令和の時代を担い、22世紀への道を作っていくことが使命である一方で、そうした難問から逃げずに粘り強く向き合い、「解」を考えねばなりません。教職員も、当事者の一人として背中を見せ、若い人たちに何かを感じ取ってもらう必要があります。福島で学びのカタチをつくり、東京、日本、世界へ発信する…。私もその一翼を担う覚悟です。

(東大・慶応大教授)

■本連載「鈴木寛の2020年への篤行録」は今回で終わりです。7年の長きに渡り、ありがとうございました。1月からは連載名を新たに「鈴木寛のREIWA飛耳長目録」と題してお送りします。
東京大学・慶應義塾大学教授
鈴木寛

1964年生まれ。東京大学法学部卒業後、1986年通商産業省に入省。

山口県庁出向中に吉田松陰の松下村塾を何度も通い、人材育成の重要性に目覚め、「すずかん」の名で親しまれた通産省在任中から大学生などを集めた私塾「すずかんゼミ」を主宰した。省内きってのIT政策通であったが、「IT充実」予算案が旧来型の公共事業予算にすり替えられるなど、官僚の限界を痛感。霞が関から大学教員に転身。慶應義塾大助教授時代は、徹夜で学生たちの相談に乗るなど熱血ぶりを発揮。現在の日本を支えるIT業界の実業家や社会起業家などを多数輩出する。

2012年4月、自身の原点である「人づくり」「社会づくり」にいっそう邁進するべく、一般社団法人社会創発塾を設立。社会起業家の育成に力を入れながら、2014年2月より、東京大学公共政策大学院教授、慶應義塾大学政策メディア研究科兼総合政策学部教授に同時就任、日本初の私立・国立大学のクロスアポイントメント。若い世代とともに、世代横断的な視野でより良い社会づくりを目指している。10月より文部科学省参与、2015年2月文部科学大臣補佐官を務める。また、大阪大学招聘教授(医学部・工学部)、中央大学客員教授、電通大学客員教授、福井大学客員教授、和歌山大学客員教授、日本サッカー協会理事、NPO法人日本教育再興連盟代表理事、独立行政法人日本スポーツ振興センター顧問、JASRAC理事などを務める。

日本でいち早く、アクティブ・ラーニングの導入を推進。