新日本プロレスの獣神サンダー・ライガーが31年間の現役生活に幕

 新日本プロレスの獣神サンダー・ライガーが「WRESTLE KINGDOM 14 in 東京ドーム」(1月4、5日、東京・東京ドーム)で引退試合を行い、31年間の現役生活にピリオドを打った。その前身である山田恵一時代から数えると36年間の現役生活だった。
1月5日、引退試合のライガー(中)とそのパートナーを務めた佐野(左)とセコンドの藤原喜明(右)(写真:新日本プロレス/アフロ)

 山田は1984年に新日本プロレスでデビューしたのだが、体が小さかったことから高校卒業後、メキシコに渡り、現地で知り合ったグラン浜田から新日本の山本小鉄を紹介してもらい、晴れて新日本に入団。いわゆる“逆輸入ファイター”だ。

 体格で勝る選手にも互角に渡り合い、その小気味のいいファイトで頭角を現し、若手ながら異種格闘技戦にも抜擢。早い時期に海外遠征にも派遣されるのだが、1989年のイギリス遠征中に、後に「山田は死んだ。リヴァプールの風になった」との名言を残す形で「獣神ライガー」に生まれ変わり、1989年4月24日の小林邦昭戦でデビューを果たした。

 その後、獣神サンダー・ライガーに名を変え、新日本ジュニアばかりでなく、日本国内のジュニアヘビー級の中心選手として活躍。海外遠征も盛んにこなし、世界的なジュニアのトップ選手となっていく。

 当時、ヘビー級ではまだまだ団体間の壁が高かったのだが、みちのくプロレスのグレート・サスケなどと協力し、1994年にはジュニアの大会「スーパーJカップ」を開催。FMWのハヤブサやみちのくプロレスのTAKAみちのくといったまだまだ無名だった若い選手を一気に引き上げ、ジュニアの活性化に貢献。

 また同大会はその後、各団体の持ち回りで開催されるようになるなど、インディー団体自体の活性化にもつながった。

 ヘビー級に転向していくライバルたちを見送りながら自身は「生涯ジュニアヘビー級」を貫き、世代が変わる中でも常にタイトル戦線に絡み続け、ネットが発達すると世界中のプロレスファンから認知されるようになり、世界的なビッグネームとなっていった。

 しかし2017年の「BEST OF THE SUPER Jr.24」を最後に同大会を卒業。昨年3月にIWGP Jr.タイトルマッチに敗れ、翌日に今年1月のドーム大会での引退を発表した。

 以降はこれまで以上に他団体にも上がり、全国を行脚。各地で引退を惜しむファンの前で最後のファイトを見せた。

 引退試合では「ライガーとしてやっていけると思わせてくれたのは佐野さん」と公言する佐野巧真と4日には対戦し、5日にはタッグを組んだ。佐野はこの2日間はライバル時代のリングネームである「佐野直喜」に戻しファイト。ライガーの引退セレモニーが6日に行われると、その翌日に自らも引退を表明した。

 ライガーは4日には新日のジュニアのベテラン田口隆祐に、5日は前日にジュニアヘビー級王座を奪還した高橋ヒロムにともにピンフォール負け。

 6日に行われた引退セレモニーでは「対戦相手のヒロム選手に粉々に砕かれましたが、それで何の悔いもなく、引退できると確信しました」とその闘う魂を後進につないだ。また広島から駆け付けた母親に「お母ちゃん、頑丈な体に生んでくれて本当にありがとう」、妻と子供にも「今まで寂しい思いをさせた分、父親らしいことをしていきたいのでよろしくお願いします」などと挨拶。

 最後は棚橋弘至の提案で会場中のファンとレスラーがテーマ曲である『怒りの獣神』を合唱する中、リングを去った。