【TOKYO 2020 COUNTDOWN】根木慎志“車いすバスケのレジェンドが3600校に出向くわけ”

 いよいよ今年開催される東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会。世界が東京を目指す中、いまアスリート、スタッフ、大会運営に関わる人は何を思うのか。第1回は、35年間、教育現場などでパラリンピックの価値を伝えるシドニーパラリンピック車いすバスケットボール日本代表の根木慎志さんに話を聞いた。
根木慎志(撮影・蔦野裕)

パラリンピック開幕まで200日


 2月7日でパラリンピック開幕まで200日の節目を迎えた。競技会場の完成や、聖火ランナーの決定など、徐々に大会への機運が高まる中、現在の心境は。

「毎日ワクワクが止まらないという感じですね。パラリンピックが来ることによって社会は変わると言われているし、究極のゴールは“インクルーシブな社会を創出する”ことなんです。パラリンピックを見た人たちが影響を受けて、社会が変わっていくのを夢見ていたので、それがいよいよやって来るとなったら、ワクワクが止まらないです」

 2000年のシドニーパラリンピックでは、男子車いすバスケットボール日本代表チームのキャプテンを務めた根木さん。開幕前の当時はどういった気持ちだったのだろう。
「一番覚えているのは、直前合宿のときですね。シドニー大会でマラソンの高橋尚子選手が金メダルを獲ったとき、僕らは日本で合宿中で、ゴールした瞬間をテレビで見ていました。高橋さんがインタビューで、“スタジアムに入る瞬間って、沿道の応援が途絶えて、一回暗くなる。そして、暗闇が明けたらどーんと歓声が聞こえる”っておしゃって。そんな話を聞いていたから、開会式で僕らもそんなふうになるのかって。自分たちもこの会場にいくんだと思ったら、逆に緊張し始めました。涙ぐみながら応援しているチームメートもいましたね。同じ日の丸を背負っているからこそ、その人たちの気持ちも分かるし、自分たちも頑張るぞという気持ちをもらいました」

選手村は小さな地球


 日本代表としてパラリンピックの舞台に立ち、長く車いすバスケットボールの普及に務めてきた根木さん。今大会ではその経験を生かして大会運営に携わる。2月3日には、選手村パラリンピックビレッジの副村長への就任が発表され、世界約170の国と地域からアスリートが訪れる選手村の中で、大会の顔として、各国の選手団をもてなす。アスリートや関係者のみが立ち入れる未知の世界だが、選手たちにとってはどのような場所なのだろう。

「選手村は、大会に向けての最も重要な場所ですね。やはり大会に向けて調整する場所だから、集中したいし、リラックスできる場所でなきゃいけない。アクセシビリティも整っているし、食堂も世界中のものが食べられるように作ってあります。シドニーの時も、クリニックや、身体をケアしてくれる場所がありましたね」

 選手村では思い出に残るエピソードもあった。

「オリンピック・パラリンピックの目的が“世界平和”じゃないですか。だから、選手の交流もすごく重要なんですね。選手村の中を走っているバスがあるんですが、僕がリラックスできたのは、一人でバスに乗ってぐるりと選手村を回っている時でした。選手村って世界各国の選手が集まって過ごす不思議な空間。バスにも世界中の人が乗っているんですよね。いろんな言葉が入り混じって、みんな好き勝手自由に喋っていて、なんだか小さな地球のような。“試合どうだった?”とか話したり、ピンバッジの交換をしてみたり。選手村ならではです。僕も最高のおもてなしをして、選手たちが“日本で良かった”と思ってもらえる場所になればと思います」
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