石原慎太郎元東京都知事が死去。2011年には大震災からの復興の一環として2020年夏季五輪の招致を表明

2014年12月2日、最後の選挙に臨む石原氏(写真:長田洋平/アフロ)

『太陽の季節』で第34回芥川賞を受賞

 石原慎太郎元東京都知事が死去したことが2月1日分かった。89歳だった。

 石原氏は一橋大学在学中の1956年(昭和31年)に『太陽の季節』で第34回芥川賞を受賞。同作が映画化された際には弟の石原裕次郎が主演を務めた。裕次郎はこの作品がデビュー作。

 1968年に行われた第8回参議院議員選挙では自由民主党公認で全国区で立候補するとその知名度を生かし、史上最高の301万票を獲得しトップ当選を果たした。任期途中の1972年には第33回衆議院議員総選挙に旧東京2区から無所属で立候補し当選。衆議院に鞍替えした。1973年には中川一郎氏、渡辺美智雄氏、浜田幸一氏、森喜朗氏らとともに反共を旗印にした政策集団「青嵐会」を結成。幹事長を務めた。

 衆議院議員の任期中の1975年に東京都知事選挙に立候補。3選目の美濃部亮吉都知事に挑むも、約35万票差で敗れた。

 1976年には第34回衆議院議員総選挙に自民党公認で立候補し、国政復帰。福田赳夫内閣で環境庁長官として初入閣を果たした。1987年には竹下登内閣で運輸大臣に就任した。1989年には自民党総裁選に出馬するが、1位の海部俊樹氏(279票)、2位の林義郎氏(120票)に大きく水を開けられ48票の3位に終わった。

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