尾崎豊“形見のギター”から“白T”逸話まで…没後30年展に息子・裕哉氏と“育ての親”須藤晃氏が登壇

 

 展示品の中で特に思い入れのある作品を聞かれると、須藤氏は「尾崎が自宅でデモテープを作るときに使っていたギブソンのセミアコースティックのギター。亡くなったときに、これは須藤さんが持っていたほうがと言われ頂いたが、30年経った今も弦を張り替えていない。張り替えたら何かが失われる気がして」と語り「(裕哉氏から)それをくれって言われているんだけど…形見の意味を分かっているのか、と(笑)。こういうことを言うと僕が死んだときに渡さないといけない」と苦笑し、裕哉氏も「くれるのかと思ったのに(笑)」と残念がる一幕も。

 時代を超えても色褪せぬ名曲の数々。反核を歌ったとされる『COOKIE』について聞かれると須藤氏は「『COOKIE』は、作る直前にチェルノブイリ原発事故が起きて、10代のころに作っていた曲を作り直したもの。アトミック・ カフェで歌っていたくらいですから、もともと反戦や平和への意識はあったと思う。2人で、核がもたらす脅威を話しているときに、スローガンとして戦争反対と言ってもしょうがない、人を愛することから始めたいんだと言っていた。生々しい言葉はひと言も無いし、あまり政治的な発言をしない人だったが、そんな尾崎の持つ一面が伝わる曲だと思う」と語った。

 また、物販コーナーが話題に上ると、裕哉氏は「まったくただの“白T”が売っていた(笑)。尾崎豊といえば白T。僕も白Tを着ていると尾崎を背負っている感が出る(笑)」と笑い、須藤氏も「尾崎さんの場合、Tシャツをズボンの中に入れてアルマーニの靴を履いていた。変といえば変なんですけど。ドラマ化されたとき、俳優さんがどうも尾崎豊らしく見えないと言うので、シャツをズボンの中に入れたらとアドバイスしたら、入れたとたんに尾崎になった」と懐かしそうに振り返っていた。

 裕哉氏は「今回展示されている衣装は僕も初めて生で見ました。映像でしか知らなかったものを実際に見ることができて鳥肌が立ちました」と感激し「映像や音源、母がたまに話してくれる話でしかつながりがなかったが、こういう節目で、尾崎豊とまた会えたという感覚になります」とアーティストとして、父としての尾崎豊に思いをはせていた。

『OZAKI 30 LAST STAGE 尾崎豊展』は3月23日から4月4日まで、松屋銀座8階イベントスクエアにて開催。