【東京五輪 1964年の風景を求めて ~神泉・千羽~】耳からも感じられた熱気  渋谷公会堂で見た金メダル第一号の瞬間

 東京オリンピック・パラリンピックまで2年を切った。今現在、少し盛り上がりに欠ける感も否めない二度目の東京で迎える五輪だけど、一度目の1964年の東京はどんな風景が広がっていたのだろうか? 当時を知る方々に、半世紀前の東京の情景を訊けば、きっと今につながる大切なものが見えてくるに違いない――。
1964年の東京五輪、男子重量挙げで金メダルを獲得した三宅義信(写真:picture alliance/アフロ)
「経済の成長を耳からも感じられた時代だったよ。当時は、ハイテクなものなんてないから、工事もトンカチでカチンカチンと打ち鳴らすのが当たり前。四六時中、けたたましい音が鳴り響いてね。今だったら騒音被害で文句だらけだろうなぁ。でも、その音の一つ一つが、今まさにこの国を作り上げていっているんだろうなって感慨深かった」

 そう笑いながら語るのは、渋谷区神泉町にのれんを掲げる「串焼き 千羽」の主人・酒井健次さん。脱サラをして昭和54年12月にオープンしたお店は、来年で40周年を迎える。名優である故・松田優作も通った、知る人ぞ知る名店だ。80歳を越えてもなお包丁を握り続ける健次さんは、 奥さんである女将・貞子さんとともに、東京の今昔を見続けてきた。

「渋谷の上を走る首都高三号線も完成していなかった。毎日、1メートルくらいしか伸びないの。“ホントに間に合うのか!?”なんて手に汗握りながら眺めていたもんだよ。上にいる人が溶接できるように、下から火の玉みたいなものを打ち上げるんだけど、いたるところで火の玉が上空に上がるものだから、“東京ってすごいな”って驚いたもんさ。無事に首都高三号線がつながったときは、下から見ていたみんなが“間に合ってよかった!”なんて言って、なぜか万歳三唱をしたくらい。本当に、オリンピック一色だったんだ」
店主の酒井健次さん。当時を鮮明に覚えているという
 健次さんが上京したのは、昭和36年。五輪開催からさかのぼること3年、1961年のときだった。当時渋谷は、東京オリンピックの主会場が明治神宮外苑を中心とする明治公園に設定されるなど、まさしく五輪の中心となる場所だった。選手村も紆余曲折を経て、旧代々木練兵場跡に設けられたワシントンハイツ(米軍将校用宿舎)に作られることが決まり、サブ会場として利用される駒沢公園も渋谷から約6キロの位置とあって、渋谷は大工事の只中にあった。

「どこもかしこもオリンピックの話題で持ちきりだったわね」。健次さんの話に優しく相槌を打つ、女将である貞子さんは、生まれも育ちも神泉という生粋の渋谷区住人だ。

「今のお店は二代目千羽で、平成15年までは神泉仲通りにお店を構えていたの。今じゃとっても外国人の方が増えて飲食店もたくさんあるけど、東京オリンピックのときは普通の商店街だったのよ。商店街の良いところって、相対取引のようにお店の人と買い物客が直接コミュニケーションを取れるところよね。

 あのときは、“あそこの道路がきれいになってきたね”なんて井戸端会議じゃないけど情報交換の場だった。買い物をするたびにオリンピックの話で盛り上がったものよ。都心には、そういう機能が失われつつあるでしょ。みんなが一緒になって直接的に盛り上がる感覚が希薄になるのは、仕方ないのかもしれないわね」(貞子さん)

 東京オリンピックの前から交際を始めたという2人は、未完成な東京の街を散策しては、移り変わる景色や空気感の中を楽しんだという。

「僕は麻布にある会社の寮で暮らしていた。2人で行く場所は、六本木や渋谷、新宿が多かったかな。平均給料が2万円で、トリスウイスキーがグラス30~50円くらい。ビールの大瓶は120円だから、高給取りしか飲めない一級品だった! 六本木通りも整備途中で未完成だった時代だよ」
貞子さんはいつもオシャレな格好でもてなしてくれる
渋谷公会堂で、東京オリンピック第一号の金メダルを目撃

 健次さんと貞子さんは、実際に東京オリンピックを見ている64年の証人でもある。二人そろって観戦したのは、女子の体操と男子の水泳だった。

「スポーツはそんなに詳しくなかったけど、あの熱気はすごかったわ。見ることができて良かった」と貞子さんが微笑めば、バツが悪そうに「妻には申し訳ないけど、僕はたまたま一人のときに重量挙げの三宅義信選手が金メダルを勝ち取った瞬間を見た。東京オリンピック第一号の金メダル。場所は渋谷公会堂だった」と健次さんが続ける。

 三宅義信選手は、2012年ロンドンオリンピック重量挙げ女子48kg級で銀メダルを獲得した三宅宏実選手の叔父にあたる。歴史が地続きでつながっていることを教えてくれるエピソードだ。

「人気競技はチケットがすぐ売れてしまうからなかなか見れない。その点穴場の競技は、比較的見ることができやすかった。重量挙げなんて全然見たこともないし、会場の人たちもさほど関心が高いようには見えなかった。ところが、“どうやらこれを上げれば三宅が金メダルだ”という状況になった。上げる前の異様な雰囲気と上げた直後の爆発的な大歓声たるや……すさまじかった。自国で五輪を開催することって、こういうことなんだなって思ったなぁ」
1964年、東京五輪開会式。燃え盛る聖火(写真:Mondadori/アフロ)
 2020年、東京オリンピック・パラリンピックでは、5競技18種目が追加種目として行われる。「メジャーもマイナーも関係ない。知らない競技だからこそ発見や面白さがある。スーパースターが現れて日本中が盛り上がることは良いこと。その時代にしかないドラマがあるから盛り上がるんだ」と健次さんが言うように、五輪は時代の写し鏡でもあるから面白い。

「僕は、次の東京オリンピック・パラリンピックに関しては、なんだかんだで楽しみにしたいっていう気持ちがあるんだよね。前回の盛り上がりを知っていると、やっぱり期待しちゃう。でも! 僕が言うのも変かもしれないけど、組織委員会の会長がお年寄りってのは理解できない(笑)。もっと若い人に指揮を取らせるべきだよ。五輪が、国を元気にさせるというのであれば、若い人に力を与えなきゃいけない。

 いまいち2020年に向けて盛り上がっていないのは、そういった“人の気持ち”を考えていないからだと思うよ。64年のときは、“この国はよみがえるんだ”という気持ちを一人一人が勝手に抱いていたから盛り上がれただけ。今は、そうじゃない。勝手に盛り上がるような活力はないわけじゃない。だったら、そういう空気を作っていかないと! まだ2年もあるんだから、組織委員会や都は人の気持ちをもっと考えてほしいね。それが前回を知る人間からのアドバイスかな」
                               (取材・文 我妻弘崇)
「千羽」
住 所:東京都渋谷区円山町17-2
電 話:03-3780-0285
営 業:18:30~1:00(LO 0:30)
定休日:日・第3土休